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旧倉吉線廃線跡トレッキング

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前から旧倉吉線廃線跡歩いてみようと思っておりました。
地区の公民館が“健康ウォーキング”で「旧倉吉線廃線跡」の歩きを計画されたので参加しました。
心配していましたが、約3キロメートルの距離を歩くことができました。
                   令和3年10月18日

河合谷林道をドライブ

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今日は天気が良いので河合谷高原を姫路からドライブすることにして、国府町の産業道路課に問い合わせると“落石“に気を付けてとの事(4回目でOKだ、来見野から・八頭から・姫路から走るも途中で交通止め)。
展望の聴かない単調な道路を2時間程度走って水のふれあい広場へ、上山高原を往復してから河合谷高原へ、鳥取港など日本海の展望を見てから狭い道幅で展望のない道を走って雨滝ルートのある県道へ、途中に美歎水源地(ダム)を通って帰る。

何回かこのルートは走ったが、単独で周りの景観を見ながらゆっくりと走ったのは初めて、途中に“唐戸渓谷の入口”があった。
過去の走った時に知っておれば見学していたのに残念だ。
                 令和3年9月22日

歴史的な時計を現代的に解釈した、メイフラワー・ヘリテージ・コレクションのレプリカです。

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歴史的な時計を現代的に解釈した、メイフラワー・ヘリテージ・コレクションのレプリカです。

スイスのグリンケンからやってきたTITONIは、非常に豊かな歴史を持っています。 1919年、フリッツ・シュルプはジュラ山脈の麓に時計工房を設立し、「フェルコ」と名付けられた最初のタイマーを開発した。1938年、フリッツ・シュルプの息子で2代目のブルーノ・シュルプがプロの時計師となり、家業に参加したのだ。 1938年、フリッツ・シュルップの息子であるブルーノ・シュルップがプロの時計職人となり、家業に加わった。1950年代、ブルーノ・シュルップは中国市場への参入を計画し、中国特有の梅の花からインスピレーションを得て、梅の花のロゴを商標として使用した新ブランド「Titoni」を立ち上げた。 以来、TITONIはヴィンテージ感あふれる、ロレックス スーパー コピー 代引き個性的な時計に生まれ変わりました。 ここでは、その一例として、スチール製の「TITONI Heritage Collection」をご紹介します。 (時計型番:83019S-ST-638)


TITONI Heritageコレクションは、ブランド創設時のユニークな機能やデザイン要素を持つ伝説的なモデルを、レプリカ時計で再解釈したものです。 メイフラワーの姉妹ブランドであるフェルカの1948年の歴史的モデルからインスピレーションを受け、レトロ調の数字やケースバックの懐かしいビンテージカーのロゴなど、随所にビンテージデザイン要素を取り入れ、クラシックかつスタイリッシュに表現した遊び心のあるホワイトオーです。


動作中の時計

直径39mmのケースはスチール製で、温かみのある光沢仕上げが施され、洗練されたエレガントな外観を際立たせています。


ケースは流線型のデザインが特徴的で、ラグまで自然に伸びており、手首にフィットするように優雅なカーブを描いています。


片側に配置されたリューズには「Plum Blossom」のロゴが刻まれ、クラシカルで雰囲気のあるタッチがブランドの美意識を際立たせています。


文字板は同心円状のデザインで2つのエリアに分かれ、12時位置には1950年代の数字を用いたプラムのロゴ、レトロな針と赤い秒針を配し、戦後のミニマリズムの流れを表現、レトロながらもスタイリッシュなデザインに仕上げています。


ブラウンのレザーストラップにホワイトのステッチを施し、時計全体のスタイルと調和させています。


この時計は、セリタ社製自動巻きムーブメントSW200-1を搭載し、ケースバックには、特定の時代のデザイン要素であるだけでなく、第二次世界大戦後の戦争ネットワークの世界を再生する人々の前向きな姿勢を意味するメルセデス・ベンツのビンテージカーがエレガントに刻印され、その上部中央にはメイフラワーのロゴが彫りこまれています。

“飛龍の滝”へ行きました

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飛龍の滝は兵庫県作用町櫛田地区の渓谷にあり、落差20㍍の三段滝(滑滝)です。
名の由来は、岩を滑めながら落ちる水の流れが龍に似ているためとか。
平成26年(2014) NHK大河ドラマ(軍師官兵衛)のオープニングでタイトルバックの映像に使われた。
智頭急行の久崎駅から3.2㎞の舗装道路の道を歩いて行きました。
滝の駐車場は観光バスが数台も入れる広場がありました。

黒沢山(万福寺)から歩いて下山

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黒沢山万福寺は岡山県津山市にあり、津山市内を一望に見渡せる黒沢山の頂上近くにある。
日本三所の福地と言われ、本尊の虚空蔵は三重県の金剛證寺、福島県の圓蔵寺とともに、「日本三大虚空蔵菩薩」と称されている。
この万福寺の展望台から津山市内を一望してから、旧参道を1時間半かかつて4㌖を歩きました。
道は荒廃しており、寺から下の昭和池まで急坂で平らな所は一か所もなく、昔の人の元気さ(意志力)に驚きました。

画像下段の左は黒沢山(左方の高い場所が頂上)で中央の辺りに万福寺

沖ノ山林道を走るも

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紅葉の時期には少し早いと思ったが、若桜の吉川~智頭の芦津へ抜ける全長27㌖をドライブする予定で出発。
県道72号線から吉川集落を右方に見て走ると間もなく沖ノ山林道となる、周りの景観を眺めながらのんびりいくと道路崩壊のためか、通行止めの標識あり。
通行可能なので通り越して走ると、再度交通止め標識あったので下車して歩く。
しばらく歩いていると、道路が崩れており復旧工事現場に。作業現場の人の許しを得て更に歩いて行くと“スギのふる里公園”があり、見晴らしは良いが、公園もキャンプ場も荒れていた。ここで昼食して引き返す。


沖ノ山林道の沿革碑によると
林道沖ノ山線は智頭町芦津と若桜町吉川を結ぶ全長27,009m 利用区域4,100haで鳥取県でも有数の規模を誇る林道であります、昭和37年に智頭町地内で着工して以来31年の歳月をかけてここに完成しました。

「大師山」へハイキング

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城崎にある大師山へ登るも登り口を間違えてしまい、ロープウェイで頂上まで行き昼食してから歩いて下山する。
(地元の人に引き返して聞くと、この道は途中から“薮コキ”と言われたのでロープウェイで登る)
雨の予想であったが、暑くもなく下山してから“足湯”に浸かり、城崎温泉街を散歩して帰りました。残念なのは文学館が工事中であった。
城崎温泉駅で「瑞風」の乗客が“立ち寄り観光”されるのでホームで小旗を持って出迎えをしました。

吾妻山高原から吾妻山へ

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広島の吾妻山(1,239m)は“休暇村吾妻山ロッジ“からの登山は1時間程度なので登頂する事にした。
ロッジへのルートは島根県の奥出雲経由のドライブで観光しながら宿舎のある吾妻山高原へ。
翌日に登山したが、吾妻山高原での“のんびり”と過ごしただけで十分に満足しました。

ぶらりと久斗川渓谷へ

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天気が良さそうなので10時頃に当てのないドライブ、国道9号線を東方向へ走り11時前に浜坂へ到着。
昼食をしながら行き先を考えることにして食堂で“てんぷら定食”を注文するが、周りのたくさんのお客さんは全てが同じものを注文、店員さんに聞いてみると、“日替わり定食”との事。
この店の名物化も知れない、何時かチャンスがあれば注文してみよう。
店にジォパークのパンフレットをみて“久斗川渓谷コース”を見て行くも、案内標識がなくて固有の箇所(神社・寺・公園など)以外は何処にあるか分からなかった。ジオパークに指定されたならば、初めての人が行くので案内があっても良いが、地元の人に聞いても判らなかった。
安泰寺は狭い道で、Uターンが可能場所から歩いて行く、寺には海外からの修行僧が修行しておられ自給自足の生活をしている。3人のイギリスの人が居られ雑談する。

「ハイキングクラブ」の初歩きに参加

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ハイキングクラブに入会して初めて“初歩き”に参加した。
参加者は8名(90歳の方も参加)で小雨の降る寒い中を、JR浜村駅から鹿野(しかの苑)までの約5kmを1時間20分かけて歩いた。
途中で高速道路の建設現場を通ると広範囲な広場に建物が建設されていたので聞くと“道の駅”との事。
私が入会(平成13年10月)した頃は会員が150名近く居られて盛大に行事(登山)が行われていたが、会員の老齢化と若い人の入会がなく、現在の会員は32名(昨年5月現在)で「月例会」も実施困難となっており、交通機関を利用して細々と実施しているが ❔❔。

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