赤猪岩あかいいわ神社
大正6年(1917年)現在地に創建された久清神社と、南部町内にある要害山山頂にあった赤猪神社が、大正9年(1920年)に合祀され現在の赤猪岩神社となった。

大国主命を主神とし、その御親・素盞鳴尊、さらに、稲田姫命を合祀する神社。「再生・蘇生」の舞台といわれ、「再起」に願いをかけ、県内外から参拝されています。

神話「因幡の白兎」で八上姫と結ばれた大国主命は、そのことで兄達から恨みを買い、迫害されます。赤い猪と偽って、真っ赤に焼けた大きな石を落とし、それを大国主命に受け止めさせ、殺してしまいました。

それを嘆き悲しんだ大国主命の母親の願いにより、見事復活をはたしますが、その舞台となったのが赤猪岩神社です。

大穴牟遅神を焼き潰し殺したとされる岩が境内に祀られている。

場 所 鳥取県南部町    地図


赤猪岩神社

拝 殿

本 殿

オオクニヌシ殺害に使われた大岩は境内の土中深く埋められ、大きな石で幾重にも蓋がされています。

赤猪岩神社前から赤猪神社があった要害山
■大国主(オオクニヌシ)の死
「因幡の白兎」で八上姫と結ばれた大国主命にひどく腹を立てた嫉妬深い兄神たちは、憎い大国主(オオクニヌシ)を殺してしまうことにしました。兄神たちは、大国主を伯耆の国にある手間の山のふもとへ連れて行きました。

そして、珍しい赤い猪を山の上から追い立てるので下で捕まえろと言いつけました。もちろん、赤い猪などいるはずがありません。
兄神たちは、大国主を殺すために、火で真っ赤に焼いた大岩を上から落としました。転がり落ちてくる真っ赤な大岩を猪だと信じて疑わない大国主は、大岩を正面から受け止めようとしましたが、無残にも焼き潰され、絶命してしまいました。

■母の深い愛により甦った大国主(オオクニヌシ)
これを知った大国主(オオクニヌシ)の母サシクニワカヒメは嘆き悲しみ、天の神に助けを求めました。
母の願いを聞いた天の神は、赤貝の神・キサガヒヒメと、ハマグリの神・ウムギヒメを地上に遣わしました。
キサガヒヒメが貝殻で大国主の体を岩からはがし、ウムギヒメが母乳と清水井の水で練った薬を大国主の体に塗りつけました。
すると、なんと大国主は息を吹き返しました。
生き返った大国主の姿は、元のままの麗しい姿であったといいます。
 
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