創建年代は不詳ですが、京都の石清水八幡宮を勧請した神社で、創建年代は不詳でありますが鎌倉時代には既にその荘園「滝房荘(たきふさそう)の記録を初見とします。 社領は1,113石余りあり、鎌倉時代にはもっと広大であったものが、豊臣秀吉の鳥取城攻めの際に大部分を焼失、所領も没収され、現在の社叢がのこる。 その後、藩主池田光仲が当神社を一族の氏神と定め、社殿を再建し境内を整備して、松並木の参道(約九百b 幅約八b)を新設した。 1ヘクタールの常緑広葉樹林の社叢は、平地の原生林として国の天然記念物に指定(昭和9年)されされ、タブノキを中心としてウラジロガシ、ヤマモミジなどの巨木も多い。 江戸末期以来、神社に付属する人形芝居「八幡永楽座」の人形、道具一式が県の保護文化財に指定されている。 祭神 応神(おうじん)天皇 仲哀(ちゅうあい)天皇 (応神天皇の御父母) 神功(じんぐう)皇后の三柱を祀っています。 場 所 鳥取県鳥取市馬場299 地図 | |||||||||||||||||||||
参道 松並木は藩祖の植樹で鳥取市の保存木に指定(昭和53年) | |||||||||||||||||||||
入口の鳥居 | |||||||||||||||||||||
神門 | |||||||||||||||||||||
境内 | |||||||||||||||||||||
拝殿 | |||||||||||||||||||||
本殿 | |||||||||||||||||||||
幹周・11m、樹高・40m、樹齢・伝承1000年 |
社叢の中には太い「黒竹」生育、この種は茨城県の西山荘とともに わが国2ヶ所の竹と言われている。 |
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