倭文神社(しとりじんじゃ)は、鳥取県鳥取市倭文ある神社。 倭文神社という名前の神社は日本全国にある、鳥取県では他に東伯郡湯梨浜町と倉吉市にある。 【祭神】 大己貴命(おおなむちのみこと)、武葉槌命(たけはづちのみこと)、経津主神(ふつぬしのかみ) 建御雷神(たけみかづちのかみ ) 【由緒】 創建は不明。延喜式神名帳(えんぎしきしんみょうちょう:927年)記載の式内社。倭人村の氏神で因幡志や社伝によると江戸時代には「七躰大明神」と呼ばれた。 (大己貴命に7つの名前があったため)明治元年に再び倭人神社となり、明治4年に村社となる。 神話「稲羽の素兎」の大国主命がこの地から八上姫に恋文(ラブレター)を書いたと伝えられる。(当時は歌を詠んだのだと思われる) 場所 鳥取県鳥取市倭文548-1 地図 | |||||||
参道入口、参道に併行して道路が境内まで続いている。 | |||||||
第二鳥居から参道を見る | |||||||
石段(参道)を上がって境内へ |
拝 殿 |
拝殿に架かる社額 |
本 殿 |
拝殿の横に荒れた建屋がある |
建屋の横にキツネ像 | ||||||
境内社 |
境内に何か銜えた狛キツネ像 狛犬・狛狐は一対となっているが この狛キツネ(?)は建屋の横にある。 | ||||||
倭文とは「しづり」とも読み、日本の絹織物のことをさします。 3世紀後半から5世紀の新羅系渡来人で、機織物の最新の技術集団の倭文部と呼ばれた人達が住み着いた場所で、このような場所には倭文神社が祀られていました。 大国主命の恋文も「文」の文字や、絹織物の巻物から連想されたのかもしれません。 続旧本紀和銅5年(712)7月の條に「因幡國ニ於テ綾錦ヲ織ラシメ」とある。この年以前に祭神建葉櫃命の子孫である 大和国葛木地方に本居を有した機織を業とする倭文部の部民が当地に来住して倭文郷とし祖業を継承したものであろう。 氏神であり業祖神である建葉櫃命を奉齋して創始したものと思われる。
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