大化4年(648年)の創建とされ、因幡国一の宮として崇敬を集めている歴史ある宇倍神社。 明治32年(1899年)、全国の神社の中で初めて武内宿禰命像(御祭神)と共に宇部神社の拝殿の絵が五円紙幣に載せられ、以後大正・昭和と数回、五円・一円紙幣の図柄となりました。 祭神:武内宿禰命(たけのうちすくねのみこと) 大和朝廷にて日本の統一に力を尽くされた神様です。神社の境内にある亀金岡(かめがねのおか)にてお隠れになったと伝わります。 なお、『神祇志料』は祭神を『国造本紀』にある因幡国造の祖先、彦多都彦(ひこたつひこ)命とするが、延暦3年(784年)撰述の『因幡国伊福部臣古志』にある伊福部氏の祖先、武牟口(たけむくち)命とする説もあり、 本来は伊福部氏の祖神を祀り、後に武内宿禰命を祀るとされたとみられる。 〜大臣の祖〜 武内宿禰命(たけのうちすくねのみこと)は第十二代景行帝より、成務・仲哀・応神・仁徳帝の5朝にお仕えされ、まことをつくして天皇の信任篤く、わが身を投げうって東奔西走、日本の統一に尽力されました。 わが国で最初に「大臣」の称を賜わり、総理大臣の祖ともいえる国の功神です。 場 所 鳥取県鳥取市国府町宮下651 駐車場あり 鳥取駅 から日ノ丸バス中河原線で約20分、「宮の下」下車、徒歩すぐ | |||||
御祭神「武内宿禰命」は第十二代 景行天皇から仁徳天皇までの五朝にお仕えされ、大臣の祖として日本の国づくりに御活躍の後仁徳天皇五十五年春三月、この亀金の岡(社殿の背後の丘)に双履を遺し齢三百六十余歳にてお隠れになりました。 その石を双履石と称し命御昇天の霊石として今に伝わる当社の原点です。 |
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