国府町地図 国府町(こくふちょう)は、奈良時代(710〜794 平城京が奈良に置かれた時代)に因幡国の国庁が置かれて、因幡の国の政治・経済・文化の中心地として大きな役割を果たし、庁・法華寺・国分寺など多くの古跡を宿している 歴史を持つ町である。 2004年11月1日に鳥取市に編入された。 |
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御祭神:倉稲魂神(うかのみたまのかみ)(稲葉大明神と呼ばれている)、稲倉魂神は五穀豊穣の神 此の地を古代は「稲羽」と称し、成務天皇の時「稲葉」と改称され、又、仁徳天皇朝に於て「因幡」と改められました。 稲葉神社は因幡の国名由来の神社となっている |
因幡国の一の宮で御祭神は武内宿禰命(たけのうちすくねのみこと) 明治から戦前にかけて発行された一円紙幣と五円紙幣は社殿と 武内宿禰の図柄を採用 |
初代藩主池田光仲から11代慶栄(よしたか)までの歴代藩主とその妻子らの墓78基 が、260基を超える石灯籠がある。 |
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7世紀後半頃の造立と考えられる。平清盛の孫安徳天皇の墓所との説あり、宮内庁管理の安徳天皇御陵参考地に指定されている。 |
中国地方で初めて彩色壁画が発見され、奈良、高松古墳に次ぐ第1級の 装飾古墳、彩色壁画は、玄室の奥壁に体長53センチの魚の絵とその上の中心に曲線文があり、両側に同心円文と三角文が画かれている。 |
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奈良時代から鎌倉時代にかけて因幡国を治めていた役所の跡である。歌人として有名な大伴家持は国司として因幡国に赴任しており、759年(天平宝字3)正月、 新年拝賀の式の宴で詠んだ歌(右の歌碑)は万葉の巻尾に収められている。 |
「新(あたら)しき年の初めの初春のけふ降る雪のいや 万葉集4,516首の最後を飾る一首です。 |
中納言在平(818〜893)は在平業平の兄である。斉衡二年(855)行平は因幡国司に任ぜられる、古今和歌集にあるこの歌は 小倉百人一首にえらばれた。 |
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