1650年(慶安3年)鳥取藩主池田光仲により因幡東照宮(現在の鳥取東照宮)が建てられ、その祭礼を司る寺(別当寺)として建立。当初は、乾向山東隆寺淳光院と称し
、藩政時代は鳥取藩における徳川将軍家位牌所と藩主祈願所の役割を持って繁栄してた。1814年(文化11年)に大雲院と称した。 鳥取東照宮(現在の樗谿神社)に隣接していたが、明治時代になり神仏分離令により別当寺を解かれ、現在の地に移転された。 因幡・中国観音霊場三十三番札所として巡拝満願の結願所となっている。 場 所 鳥取市立川4丁目24176 地図 駐車場あり 鳥取駅 から岩倉方面バス 「立川大橋」下車 |
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本堂内陣 (大雲院の説明書から) |
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正面には、丈六の弥陀三尊を中心に外陣奥ぐるりに日本最古の観音霊場、西国三十三札所の 観音さまを三十三体安置、極楽浄土の中心を仏像によって表現した全国でも珍しいお堂。 | |||||
御霊屋:大師堂と同じ建物の左に、ご本尊の法華多宝塔を中心とした左右に家光・家綱・綱吉・吉宗・家斎・家治・
家定公の位牌七基と、歴代藩主・歴代住職の位牌を安置。 平成十五年に池田家菩提寺となる 池田家十四代仲博公爵が、弘福寺墓所より最後の藩主池田慶徳公以後の方々を合祀するため東京多磨霊園に大正十四年に 造立された。 しかしながら十六代当主 池田百合子氏に後継者が無く鳥取藩祖光仲公以来続いた池田家を当代限りで終焉を決意され、 鳥取への墓所移転を歴代藩主の奥谷墓所(鳥取藩主池田墓所)と菩提寺であった興禅寺へ懇願されましたが両所共に事情があり断念。 藩祖光仲公建立の東照宮別当寺であった当院(大雲院)へ移転復元。(大雲院の案内板から抜粋) |
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池田家墓所 池田百合子氏の要望により身寄りの無い方や後継者の無くなる方々も合祀できるようにと、 墓所後部に納骨所を設け、その上部に観音像を建立する。(大雲院の案内板から抜粋) |
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