大野見宿弥命おおのみのすくねのみこと神社
御祭神の大野見宿禰命は、垂仁天皇の御代(約2000年前)に出雲国より京に上がり、大和国随一の豪の者・当麻蹴速たいまのけはやと力競べを行い、蹴速を倒し殺しました。 その跡地が桜井市穴師の相撲神社となっており、日本の国技となった相撲の始まりとされています。
これにより宿禰は勇力を賞され、都に留まり朝廷に仕えることになり、相撲の始祖と呼ばれる由縁となりました。 又、この時代には習慣化されていた殉死のかわりに、埴輪を陵墓に並べることを提案し、埴輪作りの祖とも言われている。時の皇后・日葉酢媛命が亡くなられた時、宿禰は人・馬等の土偶を造り共に埋め、生人を埋めない事に改めるよう天皇に言上し、出雲より土師を多数呼び寄せ、種々の土偶を造りました。これが即ち、殉人の代用としての埴輪造りの始まりでした。
これにより野見宿禰命は、相撲の守護神、土師部の始祖となりました。

大野見宿弥命神社の創建は不詳ですが土師氏が大野見宿禰命の居宅跡に宿禰の分霊を勧請したのが始まりと伝えられています。古くから知られた神社で、延長5年(927)に編纂された延喜式神名帳には式内社として記載されています。

現在の本殿は安政5年(1858)5月に建てられたもので、幣拝殿は昭和16年に新築され今日に至っています。


場 所 鳥取県鳥取市徳尾80    地図
神社の社叢
境内の高台は参拝者がそれぞれ土を持ち寄り小丘になったと伝わるもので、 神域だったこともありシイ・タブ・モチノキなど原始林が残され
昭和9年に国指定重要文化財に指定されています。

鳥 居

境 内の様子
拝殿前、建立年代不明の狛犬
近づかないで下さいノ標識あり。相当に傷んでいるようだ。


拝 殿

 

本 殿


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