景福寺の境内には歴代荒尾家(城主池田の家老)の墓碑の他、大坂の陣で豊臣方として戦った後藤又兵衛の墓があります
景福寺の創建は南北朝時代、通幻寂霊禅師が開山したのが始まりと伝えられています。当初は現在の兵庫県川辺郡猪名川町にありましたが慶長年間(1596〜1615)荒尾隆重(当時の姫路城の城主池田輝政の家老)が深く帰依し姫路城下に境内を移すと歴代荒尾家の菩提寺としました。
主君池田家が岡山藩、鳥取藩と移封すると荒尾家、景福寺ともども随行し現在に至っています。
その為、景福寺は猪名川町、姫路市、岡山市、鳥取市の4箇所に存在し曹洞宗四景福寺と呼ばれています。
場 所 鳥取市新品治町135 地図
駐車場あり
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後藤又兵衛の墓 (後藤又兵衛の妻は池田家家臣三浦家の出身だった為、又兵衛の戦死後は実家に随行し鳥取に移りました。) |
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『景福寺』には石臼の形をした羽生郷右衛門の墓がある。
鳥取藩主・池田光仲に特技を聞かれ、武士が武芸を心得るのは当たり前だと米粒で糊を作ってみせ、光仲を感銘させた強物。
石臼を毎日持ち上げて鍛練していたというエピソードにちなんだ墓が建てられた。 |
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羽生郷右衛門の墓 |