郷土誌だより(令和2年11月号)

武田高信(その1)たけだたかのぶ

武田高信(1529?~1576?)とは、因幡の戦国武将である。山陰地方の隠れた下克上武将。


概要
初め山名氏に属していたが、毛利氏の後ろ盾を得て下克上、独立勢力化する。しかし山名氏と毛利氏の方針転換により、切り捨てられるような形でその野望は潰え、 直後に謎の急死をとげる。
外様の人間が乗っ取り・独立を企てる、という点では彼も立派な下克上の雄ではあるのだが、いかんせん知名度が低い。原因は色々あるが…。
・一国を完全掌握するところまでいけなかった。 ・毛利氏の駒で終わってしまったという印象。 ・そもそも山名氏絡みという時点でマイナー。

生涯
武田高信の一族は若狭武田氏の庶流だという。が系図の上では確認できず正直よくわからない。
15世紀末頃には山名氏に仕えていて、客将として扱われていたそうな。

父の武田国信は因幡・鳥取城を任されるのだが、改修に改修を重ねた結果、異様に堅固な山城になったため、山名氏から「…お前、なんか企んでんじゃねえの?」と疑われて1545年に暗殺されてしまった。

一方の山名氏は、戦国時代前半には但馬守護家と因幡守護家とに分裂して対立していた。1548年、但馬家の山名祐豊は、因幡家の山名誠通(山名久通)を奇襲して 討ち取り、祐豊の弟・山名豊定を因幡守護とする。しかし因幡家と結んでいた尼子晴久が、誠通の遺児・山名豊成を擁立して何度となく因幡に攻め込んでくる。

山名豊定は1560年に病死。祐豊の子が新守護に就任するも翌年病死。続いて豊定の子・山名豊数が守護に就任するが、因幡国は不安定極まりない状態となっていた。
以下は次号に記載           

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