名馬池月
(鳥取県伝説集から)

岩美郡岩美町と福部村の境界に「因幡富士」といわれる美しい形の「駟馳山」(しちやま)があります。(左図)
昔、この駆馳山には、 一匹の子馬が住んでいました。母馬を早く亡くして、淋しかったせいか、この子馬は母を捜していっも山中を走っていました。それで 、あるときは、勢い余って頂上から下の道路に跳び下り、またあるときは、過って日本海に落ちることもありました。
しかし、こういうことが原因になって、この馬は健脚になり、泳ぎにかけてはいかなる馬にも負けないくらいに速くなりました。
そこで、この馬は、土地の豪族から時の将軍源頼朝に献上され、それが宇治川先陣争いで勇名をはせる、佐々木四郎高綱の乗る名馬、「池月」となりました。

今でも、この融馳山の頂上近くには、池月ゆかりの「駒ヶ池」の跡が福部村側にあり、ふもとの石畳の上には、池月が跳び下りたときについたといわれる足の跡が 一つ残っています(右図クリック拡大)。瓢馳山の名称も、馬偏の字を用いて、名馬池月の産したことを記念しています。
また、後に、この名馬池月が死んでから、佐々木四郎高綱は因幡の守護職になりました。そこで、彼は、因幡の国に下向するとすぐに、かつての恩のあ る名馬池月の霊を慰めようと、 一日時間をとって馴馳山に立ち寄ったと伝えられています。
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池月が石畳につけた足跡