林 重浩

林 重浩氏は明治4年(1871)〜昭和19年(1944)に鳥取市向国安で出生、甚臓と命名された。後年「重浩」と改名したのは 島根県尋常師範学校助教授として赴任の折である。

鳥取尋常師範学校を卒業し、小学校に奉職したが、あきたらず明治25年、東京音楽学校に入学。さらに、東京物理学校の夜間部に入学。

昼は音楽、夜は物理数学、その上、日曜日は囲碁の稽古という昼夜わかたづの勉学精励を続けた。

両学校を卒業後教師となり、青森師範学校、島根師範歴任、山形中学から鳥取第二中学(米子中学)に転任し35歳の若さで米子中学の校長。

明治40年12月、鳥取中学が同盟休校等の問題を抱えた困難校であった時、県知事の懇請により校長を受諾し改革に乗り出した。
数年間は異常なる迫力をもって教育にあたり、殊にスポーツ特に野球校長として今日の鳥取西高野球部の伝統を築きあげた。

鳥取中学の改革を果たし、大正11年頃になると鳥中入学希望者が激増し、入学難となったため、新設中学の設立運動を興し、新設の 県立第二中学校校長に就任した。
鳥取県教育史上特筆すべき事柄である。
 
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