心中直前「わびしき我」 晶子も涙
(有島武郎の歌碑)


砂の上に高さ約2・5bの歌碑が立っている。鳥取砂丘(鳥取市)の入り口から南西に約2km。

「浜坂の遠き砂丘の中にして わびしき我を見いでつるかな」

小説家有島武郎(1878〜1923)が1923(大正12年)4月、鳥取砂丘を訪れた時に詠んだ歌。
 それから40日ほど後の6月、有島は軽井沢の別荘で人妻だった婦人公論記者と心中する。
この事件は当時、センセーショナルに報道された。死を前にして詠んだ歌は有島の心境を映し出しているように思われ、鳥取砂丘が有名になるきっかけになったとも言われる。
有島と親交のあった与謝野晶子は7年後、夫の鉄幹と一緒に鳥取砂丘に来た。

「沙丘踏みさびしき夢にあづかれる われと覚えて涙流るる」

と詠み、涙を流したという。この歌は有島の歌どともに碑に刻まれている。

有島の歌碑は、鳥取大名誉教授の故遠山正瑛さんが中心になり、1991年に建てた。
500b東には59年に鳥取文化財協会が立てた別の有島の歌碑がある。ここでは下の句が「さびしき我を見いでけるかも」 となっている。
「『つるかな』が正しいのではないか」と元鳥取市立中央図書館長の西尾肇さん。

有島が鳥取で詠んだ歌を書いた色紙などは43年の鳥取地震や52年の鳥取大火で失われた。
   (画像クリック拡大)   文化財協会の歌碑の字は有島の妹愛子による。詠嘆の気持ちを表す末尾は愛子が書き違え、そのままにしたという話が伝わる。

冒頭の有島の歌碑は、京都の古道具屋で見つかった有島直筆の色紙がもとになった。西尾肇さんは「ただのさびしい感情ではない、人生の深い悲しみを、有島は砂丘に見いだしたに違いない」とみる。

有島の死から90年以上が経った。鳥取砂丘を訪れる観光客の多くは入り口の北にある小高い丘・馬の背へ向かう。
有島が訪れたのは「浜坂の大摺鉢」だったというが、かつての面影は今やない。 「わびしき我」を見いだしたのはどこだったのだろうか。

(朝日新聞から  元鳥取砂丘保安官事務所長 田中寅夫 )
 
有島武郎
東京都出身。札幌農学校(現北大)卒。武者小路実篤、志賀直哉むらと雑誌「白樺」を創刊し、作家活動を始めた。代表作に「カインの末裔」「或る女」など。「惜みなく愛は奪ふ」など評論も書いた。
有島武郎全集(筑摩書房)の6巻に鳥取砂丘で詠んだ歌が他の短歌とともに収録されている。
 
 
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