千代川について
(とっとり雑学本舗から)
鳥取県と岡山県の県境の町、智頭(ちず)町に源流がある千代(せんだい)川。鳥取県の代名詞「鳥取砂丘」も、この川により運ばれた砂が北風 と日本海の波により堆積したものです。今回は、鳥取県東部の住民の皆さんにとっては命の川といえるこの千代川をほんのちょっとご紹介します。

千代川は、昔は「千谷(せんたに)川」や「千体(せんたい)川」と呼ばれていたらしく、次のような言い伝えがあります。

河原(かわはら)町の小河内(おごうち)と北村の間に兵円山(ひょうえんざん)という山があり、弘法大師が巡礼の際、この山を仏の集まる神 聖な場所にしようと考えます。川に沿って1000の谷々があったので、この谷々に一体ずつ仏像を祀ろうと、大師は1000体の仏像を彫ります。 しかし、再度数え直したところ999谷しかなく、仏像を祀ることを諦め1000体の仏像を川に流してしまい、それからこの川を「千体川」と呼 ぶようになったとのこと。
空海は、平安時代初期の僧。弘法大師の諡号(921年、醍醐天皇による)で知られる真言宗の開祖である。俗名は佐伯 眞魚。日本天台宗の開祖最澄と共に、日本仏教の大勢が、今日称される奈良仏教から平安仏教へと、転換していく流れの劈頭に位置し、中国より真言密教をもたらした。( ウィキペディア)
生年月日: 西暦774年7月27日
生まれ : 香川県 善通寺市
死没 : 西暦835年4月22日, 和歌山県 高野町 高野山
千代川及びその支流には、どこかに「仏像」が埋まっているかも・・・、と考えるだけで面白いですが、かといって探すのはやめましょうね。あく までも言い伝えですから。

今は直線に近い形で日本海に注いでいる千代川も、昔は下流域で大きく東にうねっていました。明治時代には、台風の影響で、300人余の死者 を出したこともありますし、大雨が降る度に下流域に住む住民を脅かす存在だったのです。

現在は、下流域では川と堤防の間にスポーツ広場やサイクリングコースなども整備されており、その優雅な川の流れと親しむこともできます。

さて、私が小さい頃から不思議に思っていたのが、千代川に架かっている橋の名前。市街地に架かる橋は、上流から「千代橋」「八千代(やちよ) 橋」。私は通る度に、国歌「君が代」の“ちよに〜やちよに”から命名し たのかなぁと思っていたのですが、機会があればまた調べてご報告いたします。


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