文化財めぐり
 
鳥取県教育委員会  【ぶらりとっとり 文化財めぐり 「鳥取市編」】を参照して見学する。

鳥取市内には、「古事記」に登場する「因幡の白兎」の伝承地があります。神話にまつわる白兎海岸や白兎神社がある。市の西部には、「地下の弥生博物館」と呼ばれる弥生時代の 青谷上寺地遺跡があります。
弥生人の頭蓋骨内に残っていた脳が見つかっており、学術的にも全国から注目を集めている。

また、この地はかつて因幡国の中心地で、現在の鳥取市国府町には奈良時代から平安時代にかけて国府庁が置かれた。歌人として有名な大伴家持は国司として赴任しており、 この地で詠んだ歌が万葉集に納められている。
中世においては鳥取城をめぐり、毛利軍と織田軍による激しい戦いが展開された舞台であり、名だたる武将が陣を構えた跡が随所に残されている。

江戸時代には因幡・伯耆二か国を合わせた32万石が池田家の領地となる。初代藩主は徳川家康の曽孫に当たる池田光仲であり、最後の藩主12代慶徳まで鳥取城を居城とした。
 
  1.西山1号墳   2.両国梶之助の墓   3.白兎神社   4.湖山池の石がま漁   5.天神山城址
  6.ナシの親木   7.鳥取砂丘   8.鳥取城址、太閤ケ平   9.観音院庭園 10梵鐘(本願寺蔵)
11.佐治川石 12.枕状溶岩 13.影石城址 14.円通寺人形芝居 15.長瀬大シダレザクラ
16.藩主池田家墓所 17.美歎水源地 18.梶山古墳 19.夏泊の海女 20.青谷上寺地遺跡
21.鹿野町の街並み
 
鳥取市文化財めくり
 
1.西山1号  (市指定史跡)
古代気多郡(旧気高郡)域で最大の古墳。下坂本集落の北側尾根にある、全長47mの前方後方墳で、墳丘の保存状態は良好。
古墳時代の中期(1500年前)に造られたもので、この地域を支配した首長の墓と考えられている。

JR浜村駅より徒歩20分
 
2.両国梶之助の墓  (市指定史跡)
元禄年間の名力士といわれる両国梶之助は、現在の鳥取市気高町宝木に生まれ、鳥取藩のお抱え力士となった。
体重150kg、身長190cmの堂々たる体格であったと伝わる。「両国」というなまえは、因幡・伯耆の両国にかなう者なし、ということから、藩主池田光仲が命名したと言われる。

JR宝木駅より徒歩5分
 
3.白兎神社  (樹叢は国指定天然記念物)
祭神は白兎大明神、あるいは兎の宮白兎大明神とも言われる。
古事記や日本書紀にも登場する白うさぎが体を洗ったとされる池が神社敷地内にある。
神話「因幡の白兎」の伝承地である

樹叢はスタジイ、タブノキ、クロマツなどの暖地性樹木が群生し、国の天然記念物に指定されている。

画像クリックして白兎神社を見る

JR鳥取駅よりバス30分 白兎下車
JR末恒駅より徒歩30分
 
4.湖山池の石がま漁  (県指定無形民俗文化財)
湖山池で江戸時代中期から行われていたとされる伝統的漁法。
湖底にフナの通路を確保して石を積み上げ人工漁礁をもちいるもので、 他の地域では見られない独特の漁法である。1月から3月に行われる。

JR末恒駅より徒歩20分
 
5.天神山城址  (県指定史跡)
湖山池の西側にある25㍍ほどの小高い丘に造られた戦国時代の城址。
文正元年(1466)に山名勝豊により造られ、その後100年 あまりにわたり因幡の守護所として機能した。

永禄6年(1563)の毛利元就の因幡進出に伴い、山名家臣であった武田高信の反乱が起き、山名氏が天神山を退去したことを記す記事(小早川隆景書状)があることから、この後守護所は 鳥取城へと移り、天神山城は廃城となったと考えられる。
湖山池の対岸にある防己尾城は出城のひとつとされている。

JR鳥取駅より車で15分   JR湖山駅から車で5分
 
6.桂見の二十世紀ナシ親木
(県指定天然記念物)
二十世紀梨は明治37年に鳥取県に初めて導入された。森林公園「とっとり出会いの森」には、その時の親木が3本残されている。

「とっとりの名木100選」にも選定されており、現在も 樹勢は旺盛で毎年秋には多くの実を付けている。

JR鳥取駅より車で15分
 
7.鳥取砂丘  (国指定天然記念物)
千代川の河口両岸に東西16km、南北2.4kmに広がる海岸砂丘。
砂丘本来の姿を良く残しており、地質学的に形成の歴史が読みとれること、海岸砂丘にはあまり見られない高低差40mにも及ぶ 大きな起伏があることが特徴で、風の強い日には美しい風紋が浮かびあがる。

JR鳥取駅よりバスで30分
 
8.鳥取城址・太閤ヶ平  (国指定史跡)
戦国時代末期に天神山城から守護所が移され、因幡支配の拠点となった。羽柴秀吉による兵糧攻めの舞台となった城である。
この時の城将であった吉川経の墓が城北側の円護寺にある。また、鳥取城址がある久松山の東側には秀吉が陣を置いた太閤ヶ平(前線基地)があり、こちらには土塁や郭がよく残っている。
このほかにも周囲には 秀吉方の陣城が多く残されている。
兵糧攻めの後、鳥取城は宮部継潤や池田長吉が城主となり、近世城郭としての基礎を築いた。
後には池田光政が姫路から転封となり、因幡・伯耆 32万石の居城として城の大改修を行った。
その後岡山藩主であった従兄弟の池田光仲が国替えにより領主となり、それ以来12代にわたる 鳥取池田家による因幡・伯耆の支配の拠点となった。

JR鳥取駅よりバスで10分 徒歩8分(鳥取城址)
 
9.観音院庭園  (国指定名勝)
天台宗観音院は普陀落慈眼寺と号し、中国観音霊場33番札所である。鳥取藩の祈願所であり、藩主池田光仲の信仰が厚かった。

江戸時代前期を代表する池泉鑑賞式の庭園。柔らかな曲線線 を描く築山と池泉が季節の移ろいを美しく映し出し、幽玄の美を創り出している。

JR鳥取駅より100円バスで10分
 
10.梵鐘(本願寺蔵)  (国指定重要文化財)
江戸時代の地誌「因幡誌」により、伏野の海(現末恒海岸)から引き上げられたと伝わり、鐘に付着していたとされるアワビも残されている。

寺伝にも天正年間に竜宮の使いに請われて、浪人が寺に納めたと伝わる。その形状から、平安時代前期に造られたたものと考えられ、中国地方で最古級のものである。

現在は鳥取市歴史博物館に寄託されている。
(左図は 鳥取市歴史博物館インターネットから借用)

JR鳥取駅より徒歩で20分
 
11.佐治川石
佐治町細尾から加瀬木にかけて佐知川からやや離れた限られた区域に分布している。

三郡変成岩の緑色千枚岩中に 産する。岩石全体が暗緑色で凹凸に富む。その風合いから山水風景を感じさせ庭石や水石などの鑑賞用の石として利用される。
採集は禁止されている。

JR用瀬駅よりバスで15分
 
12.枕状溶岩  (県指定天然記念物)
2~3億年前に形成されたものと考えられる。溶岩が水中を流れる際に形成されるもので枕のような形をしていることから、この名が付けられている。千代川川床のほか八頭町塩上でも 顕著にに観察できる。



JR鳥取駅より車で20分
 
13.影石城跡  (市指定史跡)
山頂部分に2段の郭からなる主郭部があり、屋根には連続する郭群がある。城下に面する西側には石垣も残る。

戦国期には用瀬氏の居城であったとされる。天正年間初めに山中鹿之助らと毛利氏との戦いの舞台となり、天正8年の羽柴秀吉の鳥取城攻めに際しては、戦略上の重要地点として 羽柴方と毛利方とで激しい争奪戦が繰り返された場所である。

鳥取城落城後は、秀吉の配下である磯部氏が入城している。

(左図 用瀬町 中央のピークが城跡のある山)
 
14.円通寺人形芝居  (県指定無形民俗文化財)
この人形芝居は、三味線、胡弓、締太鼓の伴奏により、七七調の念力節に合わせて人形を操ることが特徴。
その舞方は文楽以前の庶民芸能の形式を伝えるものと考えられている。楽器、衣装にも古い伝統がうかがわれる。

JR鳥取駅より車で25分
 
15.長瀬の大シダレザクラ
(県指定天然記念物)
住宅の庭に植えられた枝垂桜。枝垂桜の巨樹としては県内有数のもの。
胸高直径45cm、樹高約12m。樹形が美しく、 4月上旬には赤みのある淡紅色の美しい花を多くつける。

JR鳥取駅より車で30分
 
16.鳥取藩主池田家墓所  (国指定史跡)
初代池田藩主池田光仲から11代までの藩主のほか藩主夫人や御分地家「東館」「西館」当主らが葬られている。
藩主の墓碑は玉石垣をめぐらした台石に3段の台石を重ね、その上に亀を象った「亀付記趺(ふき)」と呼ばれる台石に円頭扁平な墓標を立てた壮大なもの。
藩主以外には、宝塔形の墓碑や江戸時代に一般化した石碑墓標等が見られ、大名家の葬法や江戸時代の墓制を知る上でも貴重な史跡である。

JR鳥取駅よりバスで20分
 
17.旧美歎水源地施設  (国指定重要文化財)
鳥取市民の飲料水の確保と公衆衛生の向上を主な目的として大正2年に起工し、大正4年9月より給水を開始した上水道施設。 昭和53年まで供用されていた
コンクリート造の貯水池堰堤を中心として、美歎川上流量水堰通り谷量水堰、1号~5号までの南北に配された濾過池等で構成されている。
山陰で最初に建設された 近代水道、貯水池、量水施設、濾過施設が良好な状態で保存されている。

JR鳥取駅より車で25分
 
18.梶山古墳  (国指定史跡)
古墳時代終末期頃のものと考えられる横穴式石室を持つ変形八角形の古墳。
石室には壁画があり、魚や曲線文 、三角文が赤黄色の顔料で描かれている。
石室は、保存のために閉鎖されているが、年1回秋ごろに公開される。

JR鳥取駅より車で30分
 
19.夏泊の海女
豊臣秀吉の命により朝鮮出兵に出陣した鹿野城主亀井玆矩の水先案内人として活躍した筑前国(現福岡県)の助右衛門が、その恩賞に この地を拝領し、妻が海女漁を広めたとされる。
 主にワカメやモズク等の海草や、カキ、サザエ等の貝類を採集するる。昔ながらの素潜りで漁が続けられている。

(左図は インターネットから借用)

JR青谷駅より車で5分
 
20.青谷上寺地遺跡  (国指定史跡)
青谷平野にある弥生時代の遺跡。多彩な出土品とその量の豊富さから「地下の弥生博物館」と呼ばれる。
出土品は数万点に及び、殺傷痕のある人骨や頭蓋骨内に残っていた脳のほか、装飾性に富んだ木製容器や大型の建築部材等がある。
出土品は青谷駅近くの青谷上寺地遺跡展示館や、鳥取市青谷町総合支所内の鳥取県埋蔵文化センター青谷分室で見ることができる。

画像クリックして青谷上寺地遺跡

JR青谷駅より徒歩で3分(展示館)
 
21.鹿野の町並み
尼子氏の遺臣山中鹿之助の娘婿である亀井玆矩により、天正9年(1581)頃に営まれた城下町
二代目政矩が石見国津和野に転封になるまで善政により賑わった。一国一城令により廃城となったが、武家屋敷のあった殿町、商人町の上町や職人町の紺屋町などの町割りや 古い町家が残り、当時の風情を感じさせる。

亀井氏は、尼子氏滅亡後は山中鹿之助に従い主家再興を図って各地を転戦し、その後、秀吉方に属した。
鳥取城落城後に秀吉から鹿野城を拝領し、気多郡13,800石(後に高草郡が加増され38,000石)を治める大名となった。
この地を拠点としシャム(タイ)等東南アジア諸国と朱印船貿易を行い巨利を得た。
この他にも灌漑水路の整備や新田開発に力を注ぎ、領国経営に力を注いだ。
この地を拠点とし、シャム(タイ)等東南アジア諸国と朱印船貿易を行い、巨利を得た。この他にも灌漑水路の整備や新田開発に力を注ぎ、領国経営に力を注いだ。
画像クリックで鹿野町を見る

JR浜村駅よりバスで20分
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