旧美歎水源地水道施設
鳥取市民の飲料水の確保を目的に、鳥取市が建設した上水道施設。山陰地方で最初に建設された近代水道施設であり、明治45年に美歎地区に決定して大正2年(1913)11月から工事にかかり大正4年(1915) 9月に給水を始めた。
建設には市の5年分の予算を費やしています。(51万円)
大正7年(1918)の9月に発生した台風によりダムが決壊、貯水ダムを堅固なダムとするため、日本初のコンクリートダムを建設し、3年後の大正11年(1922)に給水を再開した。(建設費は50万円)

昭和53(1978)老朽化と新水源地施設の完成により機能を休止。平成4年(1992)に水道施設としての機能が完全に廃止されたが、その後も貯水ダムは砂防堰堤として現用された。

設備は外形が当時のままの姿で保存されており、日本の近代水道施設の全体像を残しており、歴史的価値が認められ平成19年(2007)に「旧美歎水源地水道施設」として国の重要文化財に指定された。
旧美歎水源地水道施設のしくみ
旧美歎水源地水道施設は上流部の貯水施設、中流部の濾過施設、下流部の送水施設からなっています。
濾過池では「緩速濾過」という方法で水を浄化していました。濾過された水は自然地形による高低差を利用して水圧をかけ、約7km先にある「長田山配水池」(鳥取市上町)に水を送っていました。
H.25.4撮影(管理橋)
R.1.9撮影(管理橋)
R.1.9撮影
5号濾過池
制水弁
ガイダンス棟内部
 
貯水池堰堤
 貯水池の堰堤(ダム)は、大正11年(1922)に完成しました。貯水池側に設けられた取水塔(円筒形の張り出し部分)で必要な量の水を取り出し、地中に埋められた内径14インチ(約35cm)の鋳鉄管で下流にあるろ過池へ流していた。
堰堤は、当初fは土でできた堰堤として大正4年(1915)に建設されたが、3年後の大正7年(1918)の豪雨で決壊した。翌年水源地の復旧・改修工事が開始され、石張のコンクリート造で新たに建設された。なお、貯水池の中に残るレンガ造りの円筒は土堰堤当時の取水塔です。  この施設は、昭和53年(1978)に役目を終えましたが、平成11年(1999)、砂防ダムに改造されて現在に至る。
H.25.4撮影
H.25.4撮影(堰堤上)
H.25.4撮影(堰堤下)
 
 
R.1.9撮影
平成23年(2011)から補助を受けて文化財の保存修理と活用整備を実施し、平成30年(2018)に文化財施設として一般公開を開始しました。
大正時代のものがまとまって残っている近代水道施設は、秋田県の藤倉水源地と、この旧美歎水源地しかありません。
 
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