荒金鉱山(旧岩美鉱山廃水処理事業)


1日岩美鉱山の歴史は古く、大宝年間(701〜703)に銅床が発見され、和銅毎聞(708〜714)には時の元明天皇 に銅を献上し、「荒金」と命名されたとの記録がある。

現代に入り、明治22年に鋼の霧頭が発見されて以来、鋼鉱の採掘によって大きく栄えたが、昭和18年鳥取県東部を震源とする鳥取大震災(マグニチュード7.4)で甚大な被害を受け、その後品質が低下 したこともあり昭和46年4月に閉山した。
坑道への入口(ここから入った)
坑道
坑道
坑道の奥でここまで入る
供養塔
昭和18年9月10日に鳥取大地震が起こり、鉱石のカスが土石流となって、住民が37名、半島から来た人 28名、併せて65名が命を失った。遺体の収容は30体、現状で29体の亡骸はドロの下に眠ったまま。

昭和48年に「鉱山に眠る韓国・朝鮮人、日本人を祭る会」を作り回忌法要を始めた。以後、毎年9月10日の命日に回忌法要が行われている。 (日本住民と韓国民との共同開催)
 
旧岩美鉱山廃水処理事業

旧岩美鉱山坑廃水処理施設フローシート

旧岩美鉱山鉱害防止事業は、ここから流れ出る坑廃水(PH3.5 1500g/日)を中和処理し(消石灰で)、水賛を改善して、公害を防止する事業として、鳥取県が事業主体 となり、岩美町が岩美町鉱害防止協会を設立し、事業委託して実施している。
廃水処理施設全景 
原水貯水槽
沈殿などの処理をする施設
 
バック