記事一覧

鳥取県民は歩かない県民か

ファイル 47-1.jpg

先日、鳥取県民カレッヂ主催講座「地域と子どもの未来を創造~ウォーキングによる地域活性化~」の講座を聞いた。
講師は鳥取県に在住の‘岸田寛昭“さん(NPO法人未来理事長)
講演の中で1日の歩行数は、
男性 全国7,225歩 鳥取5,634歩で47位
女性 全国6,287歩 鳥取5,285歩で45位
で最低との事、最近は私の地域でも歩いておられる中年をよく見かけ、また、たまに久松山や樗谷公園に行くと沢山の歩行者に出会うも全国大に比べるとまだまたですね。

鳥取県民の皆さん健康のために頑張りましょう。
次にシルバーの生活し易い場所は鳥取県の倉吉が全国で1番目と聞きました。

「宮籠」のルーツは

ファイル 35-1.jpgファイル 35-2.jpg

会社勤めをしている頃に「今晩は宮籠りなので早く帰ります」と言うと、周りの人が「誰がわるいのですか」と聞かれた。
そう言えば子供の頃に祖母が「○○さんの宮籠に行く」と言っているのを聞いた事がある。
辞書によると、「祈願などのために神社にこもること」と記述されている。
いつの時代からか知らないが昔は難病の人があると集落単位で神頼みをしていたようですね。
さて、私の集落では趣旨は違いますが「宮籠」の行事を毎年一月八日、五月八日、九月八日に公民館に祭壇を設けて参拝して(今年は宮司を招待)から料理は持寄りで御神酒を頂きながら諸々の雑談をしております。
このような行事は場所によっては「お日待」と言って同様な行事をしていたようですが、殆どの所がなくなっておりますが何故か私の集落のみがいまだに続いております。
村の文書によると
昔は毎月八日の晩に各戸順番に祭壇を作り、御神酒と夜食を出しておったが、支那事変に始まり大東亜戦争となるも、それに相当した物資でまかない毎月続けていたが、昭和33年から上記の三回となり当番は四戸単位で世話をし、費用は四戸の負担とする。
何時の時代からか当番は三戸、御神酒は集落で負担し料理は持寄りでしております。
「しょうごく」と言って正月・五月・九月に実施するも「何故この月」になったのか知りたいです。

「しめ縄」を作りました

ファイル 16-1.jpgファイル 16-2.jpg

毎年年末には村の特定の長老が「しめ縄」を作っておりましたが年末になって急遽、私たち数名で作ることになった(長老さんが入院)。
この様な事が何時か来るのではないかと予測していてので、また伝承していくべき事なので平成16年に村の行事や、「しめ縄」の作り方についてまとめていた。
昨年作った「しめ縄」と「まとめの資料」を見ながら作るも、作り方について意見の相違があったが何とか作りました。

ページ移動