ヨーロッパ紀行
 
〈1日目〉  ベルギーへ (ブリュッセル)

関西空港出発ロビーに9時40分集合、リムジンバスに乗るもH氏(一緒に行く人)がなかなか乗って来ない、乗車整理券がないとのこと(チェックイン時に貰ってなかった)。バスに立乗りは出来ない、タクシーで関西空港へ、タクシー代はホテル持ちとした。
空港で団結式を行って(添乗員・ガイドさんを入れて16名)、空路「エールフランス航空」にてパリへ。(所要時間12時間40分 、時差7時間戻す)
パリ空港到着時は雨上がりで地面は濡れていたが夕日がきれいだった。空港外へ出ることなく19時15分発のブリュッセル行きへ乗るため待合室で待機、待合室には他の日本人も数人見かける。時間になっても動きがないので如何したのかと思っていると故障のため一時間は遅れると連絡あり。出発したのが21時頃で雨に濡れながら飛行機に乗り、ブリュッセル空港へ着いた時には人影もなく、暗くて長い通路を歩いてバスへ。21時で空港の職員は飛行機の到着に関係なく帰るとのこと。ホテル到着は23時を過ぎていた。

〈2日目〉  EU本部とブリュッセル市内見学

午前中は公共設備の建物やEU(欧州連合)本部の見学、本部はオフィス街の普通のビルと同じで、これが(?)と思うほど入口は質素で7階建てのビルでだ、付近にEUの森と言われる広大な敷地があった。ガイドさんの話によると、EU職員は羨望の的で年収は千二百万円程度、ベルギーの平均は三百から四百万円に比べて非常に高い。
民間会社の受付程度の対応で予想した厳しい審査もなく、同時通訳装置の会議室で説明を聞く。 午後はバスの中から議事堂・最高裁判所を見て、凱旋門・アトミウム(鉄の原子を模型した構築物)や屋上に芸術的な飾りをした市役所などベルギーの建築物(15世紀建造のフランボワィヤ・ゴシック様式の迫力ある建物)を見学する。
EU本部建物
 
EU本部建物
凱旋門 市役所前からゴシック様式建物を見る 撮影要請のあった女性
 
  続いて小便小僧を見学し写真を撮ろうとカメラのファインダーを覗いて焦点を合わせていると、ファインダーに女性(高校生か?)が顔を出して手を振るので撮影を中止する。女性の態度から写真を撮ってくれと言っているようなので、了解のゼスチュアをしてカメラを構えてシャッターを切る。女性は手を振って仲間の所へ走って行った(サヨウナラ!!)、言葉が通じないのが残念である。帰国してから焼いてみると残念ピントが合ってない。突発的であったので慌てていたのかも知れない。

〈3日目〉  ベルリン都市開発プロゼクトを見学

薄暗い雨の中を(7時30頃)ブリュッセル空港へ、搭乗手続きを待っているとポーターが空港の女性(日本人)を呼び出し、特別に団体扱いで手続きをされたので早く終わる。
昼過ぎに(飛行時間は1時間30分)ドイツのテンペルホフ空港へ到着。この空港はヒットラーが建設したもので、連合軍が終戦後に使うので空爆しなかった。都市開発プロゼクト(現在ヨーロッパ最大の工事、工事費は三百億マルク 一兆五千三百億円)と情報センターを見学。
(情報センターは1955年にベルリン市・ソニー・ベンツなど、この地域の開発に参加している企業によって設立された)
ベルリン都市開発プロゼクト ブランデンブルグ門 ベルガモン博物館
ベルリン都市開発プロゼクト
ブランデンブルグ門
ベルガモン博物館
 
ホテルチェックインしてから夕食に出るまでの間にシャツを洗濯してドァーの握手に掛けて夕食のため外出、帰って見ると洗濯用物を入れる袋と洗濯案内がテーブルに置いてあった。このホテルはドイツで1・2クラス最大のホテル(アンドロンベルリン)でブランデンブルグ門のすぐ近くにある、皇太子や小渕首相が宿泊された。
朝食のため一階へ、エレベーターの行先ボタン‘1’を押すも停止するのは二階。何度もやり直すが止まるのは二階だ。二階から階段で降りようとするも階段の場所が分からない、女性の従業員が居たので手真似で一階へ行きたいと話すも通じない。その時、男性従業員が来て英語で話すも分からないが、ワンフロァーとかブレックハウスとか言っているのでOKと言った。そしたら女性に何か話し、女性従業員が階段の方向へ歩いている途中で階段の場所が分かったのでOK・OKと言って1人で一階へ。この事を添乗員に話すと一階は‘E’のボタンであると聞かされた。
 
〈4日目〉  ベルリン市内見学してオーストリアへ

9時頃から歩いてブランデンブルグ門と東・西ベルリンの壁跡を見学。バスで移動し、ナチス地下壕の跡地を見学している時、傾斜地を降りようとしてつまづいて土手から転げ落ちた。眼鏡のレンズを鉄線で傷つけ、フレームを曲げ、両手に擦り傷あり、カメラを飛ばす。眼鏡・カメラも使用できたが(眼鏡は応急処置にて使用)骨折なくて幸いであった。
続いてベルガモン博物館へ(大英帝国博物館に匹敵)、有名なデパート(八百屋からスタート)とカイザー・ヴィルベルム教会を見てからエジプト美術館・現代美術館(ピカソが多い)、シャルロッテン宮殿を見学してローカル空港(テーゲル空港)からオーストリアへ、17時55分発が故障で1時間遅れ、オーストリアのホテルへ22時過ぎ。
カイザー・ヴィルベルム教会
 
カイザー・ヴィルベルム教会
〈5日目〉  ウィーン市内見学

午前中は王宮を見学。午後はシェーンブルン宮殿(1.5Km 四方、1441部屋があり、庭で狩をしていた)とベルヴェーデ宮殿を見学してからデパート伊勢丹へ行き自由行動。1人で市内を歩く、途中でシュテファン大寺院へ入りる、行くあてもなく、どの様にしてホテルへ帰るか思案しながら歩いている時にOさんと再会し嬉しかった。知らぬ所で言葉も通じない心細さは大変だ。

ウィーン市内
 
ウィーン市内
ベェルヴェデーレ宮殿 シェーンブルン宮殿 ウィーン市内
ベェルヴェデーレ宮殿
シェーンブルン宮殿
ウィーン市内(拡大 画面クリック)
 
〈6日目〉  オーストリアからスイス(ツェルマット)へ

6時20分に空港へ、オーストリア出発は9時15分であるが出国手続き(スイスはEUに加盟してないため)に時間がかかるので早めにホテルを出た。空港内のベンチで朝食の弁当(パン・リンゴ・ジュースなど)
出発時は晴れであったが、11時過ぎにジュネーブ到着は雨であったが空から見たレマン湖は素晴らしかった。13時にバスにてティーシュへ、バスはレマン湖に沿って、ニヨン・ローザンヌ・モントルーの素晴らしい景色の所を通るも雨で残念。途中のトイレ休憩で女性は有料、男性は無料であった。ティーシュから先はエンジン車は乗り入れ禁止のため、電車にてツェルマットへ。
ティーシュ駅(ホームから)(拡大 画面クリック)
 
ティーシュ駅から(拡大 画面クリック)
〈7日目〉  ツェルマット見学

標高3,130mのゴルナーグラートへ行くがミゾレとガスで何も見えない、期待していたマッターホルンは全然だめだ。 登山電車で登頂中もガスがかかって遠望の景色も見えず残念、我々が乗った一両目は殆どが中国人である。頂上には山頂ホテルや土産物店がありコーヒーを飲んで下山。この山頂から使用した排水は全てパイプで地上へ。 ツェルマット村は、村民5,600人、移入労働者2,800人、観光客30,000人で計40,000人程度の人が居る。マイカーはなし、電気自動車しかなく、これも電気消防自動車が数台、電気バス、ホテルの荷物運搬に許可を受けた電気自動車しかない。このため、ツェルマットには交通信号機はない。
登山電車山頂駅 ツェルマット駅 夜になって、誰かがミラノ(イタリアで明日行く予定)は浸水しているらしいと言っている。また、ミラノへ行く氷河特急は大雨で不通とのこと。
登山電車山頂駅(拡大 画面クリック)
ツェルマット駅
 
 
〈8日目〉  交通機関不通のため、ツェルマットにて待機

朝食に行くと、電車が不通(ツェルマットから出る唯一の交通機関)となっているのでホテルに待機。9時前に今日は此処に宿泊する、明日はミラノ行きを中止してフランスへ行く、本日は自由行動されたいと連絡あり。
ミゾレ混じりの雨の中を1人で散歩がてら出歩く、観光ルートの道路から外れた道を歩く。道端の街路樹に彫刻した像や、アルプスで遭難した墓石などを見ながら村はずれへ、路地に入ると古い田舎風の家があり、日本の山奥にある侘しい村 (ずっと昔の)と変わらない。ツェルマット駅の電話ボックスから鳥取へ電話するも通じない、何度も掛けなおしているとドァーをノックする音がしたので振り返ると若い女性だ、 早く‘終われ’のサインと思いながら電話するも不通。外に出ると、女性が話しかけてくるも意味が分からないので、“オーバー テレホン”と言った(電話が終わった事にして)。
 
アルプス遭難した墓石
ツェルマット村
アルプス遭難した墓石(拡大 画面クリック)
ツェルマット村(拡大 画面クリック)

後で、現地のガイドに話すと電話が不通になっている事を教えていたのだと言われた、”オーバー“と言った時に変な顔されたのが思い出される。

〈9日目〉  ツェルマットからヘリコプターで脱出

朝食時に、何時でも出発できるように準備しておくよう連絡あり、9時にホテル清算の確認。10時頃にヘリコプターで脱出もあるので貴重品のみで出られるよう準備せよの連絡あり。
10時50分に集合の指示あり、直ちに荷物を持ち出してホテルの荷物運搬車(電気自動車で牽引)でツェルマット駅前まで運んで貰う。 各所のホテルから沢山の観光者が集まって来るのでどうなるか、この状態が続けばパニックになりはしないか不安になる。責任者がバラバラになるのを心配されB氏が最初にヘリに乗り、降りた所でグループを待ち受けてまとめるよう指示し、最後に責任者がヘリに乗ることをグループに周知された。
人混みの中で待っていると我々のグループの者は入ってくれと声がしたので、人混みを掻き分けて前に出るとロープで通行止めをして入口が作ってあり警官が立っていた、入口にガイドさんから整理券を渡される、三十七番であった。これから待つこと長時間(ずっと立ったまま、寒風の中で待ち続けた。幸いにも天気は回復しつつあったので、雲の切れ間から短時間ではあるがマッターホルンを見ることが出来た)。ヘリに乗ったのは15時30分を過ぎていた、乗った時は晴れていて、アルプスの谷間を通ってラノンと言う所へ降りる、おかげで、素晴らしい景色を空から見ることが出来た。(下記のヘリの写真は道路・線路が土砂崩れで埋没している箇所)
ラノンから車でビシプと言う小さな町の駅前で全員が揃うのを待つ、バスをチャーターしてジュネーブ空港近くのホテルへ。
ヘリコプターに乗車 ヘリコプターから ビシプ駅前から(VISP)
ヘリコプターに搭乗(拡大 画面クリック)
ヘリコプターから(拡大 画面クリック)
ビシプ駅前から(VISP)(拡大 画面クリック)
 
追 記
ツェルマットからの脱出にあたり、現地ガイド・添乗員の情報収集の迅速によりヘリコプターの乗車順番が 37番、おかげで当日に脱出できた。日本人の新婚さんが、私たちを見つけて心配顔で添乗員と話している、乗車順番は400番 代らしい、ヘリは4〜6人乗りが3機である。ヘリコプターは民間機で自治体は何もしなかった。有名な観光地であり、観光で成り立っている村なら何とかすべきであると思ったが、日本的な考えか、それとも私だけの思いかも知れぬ。
 
〈10日目〉  スイスからフランスへ

ジュネーブ駅を9時50分発の新幹線でフランス(リヨン駅 GARE DELYON)へ13時40分に到着。ジュネーブ駅の構内通路(コンクリートのトンネル)の途中でフランスへ入国となる。パスポートを見せるも税関は電話をしながら手招きで通れの合図をしていたのでスンナリとフランスへ入国、新幹線のホームはフランスである。新幹線の車内は日本に比べて狭いように感じる、車窓から見る景色はトンネルがないので良く見える。日本の線路はガードされているが、広野を走行している時であったが線路柵がない。
リヨンからバスにてオルレアン(ジャンヌダルクの活躍地)を通ってサン・アービンのホテルへ。(古城を改修したホテル)
オルレアン市内 ホテルの裏庭から
オルレアン市内(拡大 画面クリック)
ホテルの裏庭から(拡大 画面クリック)
 
〈11日目〉  オルレアンとパリ市内を見学

午前中はオルレアン見学。オルレアンを13時過ぎに出発してベルサイユ宮殿へ15時半に到着。雨が降ってたのでバスから降りると傘売りの攻撃にあう。
 
売店で傘を購入(85フラン 日本円で1,200円程度)観光客が多くて落ち着いて見ることは出来なかった。 また、各国の観光客と一緒になり、それぞれが自国語で聞く為、ガイドの声も他国の言葉と一緒になり聞き取りにくい。夜は”りド”にショウを見に行くもスーツ着用との事。 ベルサイユ宮殿 オベルサイユ宮殿内ら
 
ベルサイユ宮殿(拡大 画面クリック)
ベルサイユ宮殿内(拡大 画面クリック)
 
〈12日目〉  パリ市内見学

バスの中から、“凱旋門”を見てからエッフェル塔”、ノートルダム寺院を見学。その後は自由行動となったので三越デパートで時間つぶし。午後は全員が自由行動である。 ルーブル美術館・オルゼー美術館で‘彫刻のビーナス’や‘モナリザ’を見るも写真禁止にはなってない。
ルーブル美術館で人の流れに付いて行ってると入口へ、手招きで入れのジェスチュアしているのでチケットなしで入る。(後で判ったが今日は何かの記念日で無料)。ホテルに帰ると、日本から持参した紙コップ・お茶・インスタント食品などが無くなっていた(テーブルに置いていた)。代わりにチョコレートが2個置いてあった。
 
エッフェル塔 ノートルダム寺院 ルーブル美術館ら
エッフェル塔
ノートルダム寺院(拡大 画面クリック)
ルーブル美術館(拡大 画面クリック)
 
セヌー川 パリー市内
セヌー川(拡大 画面クリック)
パリー市内(拡大 画面クリック)
 
〈13日目〉  直行便で帰国の途に

帰国の日である、ヨーロッパへ来て4・5日までは先が思いやられたが1週間が過ぎた頃からは慣れてきた。まだまだ居りたいぐらいである。10時過ぎにドゴール空港へ、13時過ぎにパリーを出発し日本へ直行。(所要時間:12時間)
21日(土)の8時過ぎに関西空港へ到着。
 
山・旅紀行へ