旧堺港灯台 千利休屋敷跡  山口家住宅

平成26年9月10日(水)

大阪府・堺市の千利休ゆかりの地を訪ねた。(他に、南宗寺 妙国寺)

旧堺港灯台
日本最古の木造様式灯台として国の指定史跡になっている。 港灯台は、明治10年の築造以来、港の安全を守った堺のシンボルである。当初の光源は石油ランプを使い、約18キロメートル先まで届いたとされる。しかし1959年から始まった堺泉北 臨界工業地帯の埋め立てにより灯台の役目を果たさなくなり1968年に廃止された。

旧堺港灯台

工場の囲い塀に巨大壁画(クリック)
 
千利休屋敷跡
街中の通りに面した空地に芝生が敷かれた広場のようだ、周りはビルで、道路側は柵に囲まれている。
復元された井戸と石碑を道端から見た。

千利休は
大永2年(1522)、堺今市町(現在の宿院西1丁)の豪商魚屋(ととや)の長男・与四郎として生まれました。17歳の時、北向道陳に茶道を学び、のちに武野紹鴎に師事しわび茶を大成させました。

茶の湯をもって信長に接近し、その死後は秀吉の茶頭として仕えながら、北野の大茶会を取り仕切るなど天下一の茶匠として権勢をを振るいましたが、小田原の駅後、秀吉の怒りにふれ自刀しました。

現在の茶道千家の始祖であり「茶聖」と称せられている。

千利休屋敷跡
 
山口家住宅
山口家住宅の主屋は慶長20年(1615年)、大坂夏の陣の戦火により市街地が全焼した直後に建てられた、国内でも現存する数少ない江戸初期の町家のひとつとして、昭和41年(1966年)に国の重要文化財に指定されています。

江戸時代には「京の着倒れ大坂の食い倒れ」とともに、「堺の建て倒れ」と例えられたように、堺衆は建物に贅を凝らしたといわれていますが、この建物はその名残りを示すひとつです。 (写真はインターネットから借用)

山口家住宅

山口家住宅の土間

山口家住宅の座敷

山口家住宅(クリック)
 
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