天智天皇山科陵

天智天皇は第38代天皇(在位:668年2月20日から672年1月7日)。一般には中大兄皇子(なかのおおえのおうじ / なかのおおえのみこ)として知られる。

陵(みささぎ)は、京都府京都市山科区御陵上御廟野町にある山科陵(やましな のみささぎ)に治定されている。公式形式は上円下方(八角)。考古学名は御廟野古墳。

天智天皇は、645年に大化の改新をおこしました。中臣鎌足(藤原氏の初代)と共に蘇我入鹿を殺し蘇我氏を滅ぼした。その時の名前はまだ中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)です。
その後日本の律令政治を確立して行った。

最後の崩御に関して不思議な話が伝わっている。
平安時代末期に僧皇円によって書かれた『扶桑略記』では、天智天皇が馬に乗って山科の里まで遠出したまま帰ってこず、後日履いていた沓だけが見つかった。その沓が落ちていた所を山陵としたとも言われている。


山科陵への参道
入口から続く真っ直ぐな参道を抜けると、深い森に包まれた御陵にたどり着く。


沓石と呼ばれる約2×3メートルの平坦な石と、天智天皇山科陵

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