伏見稲荷大社

旧称は稲荷神社。稲荷山の麓に本殿があり、稲荷山の全体を神域とする。全国に4万社ある稲荷神社の総本社 京都府伏見区にある神社。
平安時代の昔から稲荷山が民衆信仰の山であったことに始まり、今日では商売繁盛、産業興隆、家内安全、交通安全、芸能上達の守護神として信仰をあつめている。

参詣日   平成25年1月9日(水)

由緒、伝説
深草の長者であり、当時栄えていた秦伊呂具はおごり高ぶり、餅を的に矢を射たところ、餅は白鳥となり伊奈利(稲荷)三ヶ峰の方角に飛び去った。 これを機に、秦氏に衰えが見えはじめたため、秦伊呂具は和銅4年(711年)に伊奈利(稲荷)三ヶ峰に神を祀った。これが大社の創始と伝えられている

稲荷神の別名である「御食津神(みつけがみ)」の当て字に「三狐神」と書かれた事や、古代にあった「春に山の神が里に降りてきて田の神となり、秋に収穫が終ると山に帰る」という信仰から、山と里を行き来する狐の習性によって狐が「田の神様」とされた事が相まって、狐が稲荷の使いとされるようになったとも・・・。

農民にとっての五穀豊穣は、商人にとっての商売繁盛・・・という事で、いつしかお金持ちの家などに祭られるようになり、江戸時代には「全国どこにでもある」と言われるくらいの広がりを見せます。


初詣とは
歳が明けてから神社や寺院などに参拝する行事。1年の感謝を捧げたり、新年の無事と平安 を祈願したりする。初参り(はつまいり)ともいう。

習慣化したのは明治中期とされている。明治初期までは恵方詣りの風習が残っていたようだが、京阪神 で電鉄会社が沿線の神社仏閣をてんでばらばらに「今年の恵方は〇〇だ」と宣伝し始めたために、本来 の恵方ではない神社仏閣にも詣でるようになり、恵方の意味が薄れ、有名な神社仏閣にお参りするように なったと言われている。 恵方とは「いい方向」

楼 門

第二鳥居をくぐるとその奥に規模の大きな朱塗りの「楼門」、以前の楼門は応仁の乱により焼失し、現存のものは再建に尽力した秀吉の寄進によるものらしい

内拝殿(神饌所)

この奥に「本殿」があり、この場所から「本殿」を参拝するようになっている
 

千本鳥居入口

千本鳥居内(出口から)
稲荷山御神蹟参拝の参道の殆どは直上及び左の写真に見られるように朱塗りの鳥居がビッシリと建てられており、まるで鳥居のトンネルをくぐるような状態で参道を歩く。 これを「千本鳥居」と呼んでいるようであるが、実際は数千本の鳥居が建てられているという。
おもかる石

「奥社奉拝所」の傍に「おもかる石」という奇妙な名前の書かれた場所がある(左の写真)。 ここにある石灯籠の前で願い事をし、燈籠の空輪(頭の丸い石)を持ち上げる。持ち上げたときに感じる重さが予想より軽ければ願い事が叶い、重ければ叶わないといわれている。
 
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