豊国神社 方向寺

豊国神社(とよくにじんじゃ)は、京都市東山区に鎮座する神社。豊臣秀吉を祀る。
秀吉死去の翌年(慶長4年  1599年)、遺体が遺命により方向寺の近くの阿弥陀ヶ峰山頂に埋葬され、その麓に方向寺の鎮守社として廟所が建立されたのに始まる。 秀吉は東大寺の大仏に倣い、自身を八幡として祀るように遺言したが、結果として方向寺とは別の存在となり、別に神宮寺が作られ、神号も大明神となっている。
方広寺(ほうこうじ)は、京都府京都市東山区にある天台宗の寺院。通称は大仏殿。豊臣秀吉が発願した大仏(盧舎那仏)を安置するための寺として創建された。

参詣日   平成24年5月9日(水)

豊国神社
後陽成天皇から正一位の神階と豊国大明神の神号が贈られ鎮座祭が盛大に行われた。 しかし、元和元年(1615)に豊臣宗家が滅亡すると、徳川幕府により方向寺の大仏の鎮守とするために廃絶され、大仏殿裏手に遷されている。神宮寺や本殿は残されたが、それも後に妙法院に移されている。 明治元年(1868)、明治天皇が大阪に行幸したとき、天下を統一しながら幕府を作らなかった尊皇の功臣であるとして、豊国神社の再興を布告した。明治6年(1873)別格官幣社に列格した。明治13年(1880)、方向寺大仏殿跡地の現在地に社殿が完成した。
方広寺
天台宗山門派の寺で豊臣秀吉により建立された。
天正14年(1586)秀吉により東大寺に倣った大仏殿の造営が開始され、文禄4年(1595)完成した。東大寺の大仏より大きい18bの大きさであったという。しかし慶長元年(1596)慶長伏見地震により倒壊した。その後、豊臣秀頼により再建されたが、寛政10年(1798) 落雷により焼失した後は同規模のものは再建されなかった。
「国家安康」「君臣豊楽」の句が徳川家康の家と康を分断し豊臣を君主とし、家康及び徳川家を冒トクするものと看做され、 大坂の役による豊臣家滅亡を招いたとされる(方広寺鐘銘事件)。
 
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