妙国寺
妙国寺(みょうこくじ)は、大阪府堺の中心部、材木町に門を構える日蓮宗の本山(由緒寺院)で永禄5年(1562)建立の寺。
四国の阿波、讃岐より兵を起こして、当時堺を支配した三好家四兄弟の一人が日b上人に土地を寄進し、上人の父であり堺の豪商として知られる油屋常言の協力により建てられました。


参詣日   平成26年9月10日(水)

妙国寺
 
境内の樹齢1,100年の大蘇鉄(国指定の天然記念物)は織田信長の所望で安土城に移植されましたが、毎夜「堺に帰りたい」と泣いたので、信長は激怒して「切り倒してしまえ」と命じました。

蘇鉄は切り口から鮮血を流し大蛇のごとく悶絶し、恐れをなした信長は再び妙國寺に返したという伝説の樹があります。

大蘇鉄(国指定の天然記念物)
撮影禁止のためインターネットから借用
 
慶応4年(1868年)堺港に上陸してきたフランス軍艦の兵に対し、堺の警固にあたっていた土佐藩士との間で争いがおこり阻止しようとしてフランス人22名を殺傷した堺事件で、土佐藩士11名が切腹した地としても有名です。

土佐11烈士の供養塔
維新草創の波にもまれ潔く殉じた11名の胸中は。寺にはその遺品も残されている。

土佐11烈士の墓
 
 
 
日本唯一の「蘇鉄の枯山水」庭園には、千利休の寄贈といわれる「六地蔵灯篭」や「瓢箪型手水鉢」があり、徳川家康や与謝野晶子、正岡子規がソテツを詠んだ歌碑もある。

徳川家康の歌碑
「妙なりや 國にさかゆる そてつぎの ききしにまさる 一もとのかぶ」と詠んだ。
本能寺の変の時にこの妙國寺に宿泊しており、伊賀越えで岡崎に苦労して帰ったという家康の逸話も語り継がれている。

千利休寄贈の「瓢箪型手水鉢」
 
 
 
 
 
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