南宗寺
南宗寺(なんしゅうじ)は大阪府堺市堺区にある臨済宗大徳寺派の寺院で、1557年三好長慶が父の菩提を弔うため大林宗套 (だいりんそうとう)を迎え開山とし 三好氏の菩提寺。
た臨済宗大徳寺派の寺院。

夏の陣で焼失後、沢庵宗彭らが再建、国の名勝枯山水の庭、重要文化財の仏殿・山門・唐門や千家一門の供養塔、利休好みの茶室実相庵などがあります

徳川家康が後藤又兵衛の刃に倒れ、当寺に祀られたという伝説の寺でもあります。

境内地図

参詣日   平成26年9月10日(水)


総門
 

仏殿(国重文)
中央に釈迦如来を安置し 、天井に狩野信政筆「八方睨みの龍」が描かれている

座雲亭
立札の内容
山内最古の建物。下層は茶席。元和9年(1623)7月徳川秀忠、同8月家光の、両将軍の御成の旨を記した板額がかかっている。
この両将軍の御成や東照宮が祀られていることなどによって、家康が後藤又兵衛の槍に刺され南宗寺開山堂下に埋葬されていたという伝説が残った。
墓は今も開山堂下に安置されている。

家康の墓


千家一門の墓
中央は利休居士の塔、右に不審庵(表千家)左に今日庵(裏千家)、手前右に官休庵(武者小路千家)
利休の死の原因

利休が秀吉の怒りを買った原因を「大徳寺三門(金毛閣)改修に当たって増上漫(自信過剰)があったため、自身の雪駄履きの木像を楼門の二階に設置し、その下を秀吉に 通らせた」とする説が知られているが、その他にも様々な説があり、詳しくは分かってない。

また、秀吉は蟄居を命じただけで死罪までは企図していなかったが、利休が一切の弁明をしなかったために切腹を命じたとする説もある。
 
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