薬師寺
薬師寺(やくしじ)は、奈良県奈良市西ノ京町に所在する寺院。 (世界遺産)
建立の経緯は、壬申の乱での戦いで生死をかけた苦労をともにした「皇后(後の持統天皇)」が病気になられたので天武天皇は何にも代えがたい皇后の病気 平癒を祈願するため「薬師如来」の造像を発願された。
その尊像を安置するための寺院が藤原京に建立されたのが「薬師寺である。
天武天皇は薬師寺の完成を見ることなく崩御された。病気から回復されていた持統天皇、続いて孫の文武天皇によって薬師寺が完成された。

爾来1300年を経、この間、幾多の災害を受け、特に享禄元年(1528)の兵火では、東塔(国宝・白鳳時代)を除く諸堂が灰燼に帰した

参詣日     平成25年7月10日(水)
薬師寺伽藍図(クリック)
   
金 堂
1976年の再建。奈良時代仏教彫刻の最高傑作の1つとされる本尊には薬師三尊像を安置
大講堂
2003年の再建。正面41m、奥行20m、高さ17mあり、伽藍最大の建造物である。
本尊には弥勒三尊像 (重要文化財・白鳳時代)、後堂には仏足石・仏足跡歌碑(国宝・天平時代)が安置
中 門
1984年の再建。両側に回廊が延びる。
東塔(国宝・白鳳時代) H19.11撮影
各層に裳階をつけているため六重にに見えますが、 三重のの塔です
2009年から2018年までの予定で約110年振りの東塔の解体修理
西 塔
享禄元年に兵火でで消失、1981年に伝統様式・技法で再建されたものである。
薬師寺の所在地の「西ノ京」とは
平城京を朱雀大路で東西に分けられた西の半分で 右京全体を指しましたが、現在では薬師寺、唐招提寺のある界隈だけを指します。
西ノ京で創建当初の面影を留めた建造物は薬師寺と唐招提寺に限られましたからこのよ うな呼び方になったのでしょうか。

「左遷」のルーツは
余談ですが平城京の右京(西ノ京)には高級役人が住まいし、左京(東ノ京)には下級 役人、一般庶民が住んでおりました。しかし、高級役人が職務上重大なミスを起こし て降格になりましたら左京に移住させられることから出た言葉が「左遷」です。
時代が 変わると左大臣の方が右大臣より格が上というように左上位となりますが左遷と言う 言葉のみが残ったようであります。
 
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