空  山
(標高;901m)
【日  時】  平成20年11月23日(日) 晴
[コース]  池田登山口―空山―魚町公園駐車場―池田登山口

空山登山口 鳥取を7時40分に出発し、志戸坂トンネルの出てすぐに左折して千草高原スキー場を通過して西河内集落にはいる。県道72号中野地区の右側を注意していくと公民館があり、空山の標識がある。ここから左手に路地のような狭い道には入り、橋を渡り数件の民家の横を通過すると舗装の山道となり、動物保護の為の柵あり、柵を開けて100mぐらい先の右手に登山口がある。更に数十メートル先の路端に2〜3台が駐車できる。 すでに2台が駐車、7〜8人の中年グループが登山準備して居られ、その後に出発する。(右図は登山口)

池田登山口(8:53)→尾根直下数メール下(9:39)→空山頂上(9:46 9:55)→ドングリ小道分岐(11:07)→山頂広場(11:14)→野鳥の小道分岐(11:24)→途中ベンチ(昼食)(11:30 12:07)→県道72号(登山口)(13:07)→池田登山口(14:25)

登山口の小さな橋を渡り右に小さな沢沿い、左に荒廃した田畑と以前は家屋が在ったのか崩壊した石垣の横を並行して歩き、ススキの原を過ぎると植林地帯となる。道は緩やかな谷道である、沢の流れを2つ渡った頃から支尾根を登るようになり急登が続く。この間に先発の中年グループを追い越す。(過去にこのような事はなかった、いつも追い越されている)
やがて上の方が明るくなり稜線直下に出るが、稜線に出ずに右側(南)へ進み下っていく。ピークを越えて、次のピークの急坂を上ると「平成之大馬鹿門」がある空山の頂上だ。 展望は良く後山、駒の尾山、三室山、植松山が見られる。中年グループも来られ、「平成之大馬鹿門」のもう一方の柱はあの方向と後山の方向の「おごしき山」を指差されるも、どれが「おごしき山」か分らなかった。
     
空山頂上 頂上から後山下山道にて
空山頂上(拡大 画面クリック) 頂上から後山(拡大 画面クリック) 下山道にて
     
グループは引き返すとの事、サヨナラして下山開始。急な下りであり、落ち葉で地面は分らないので足元に注意しながら下る。 急坂の下りが終わると緩やかな尾根道となり、右は急激な切れ落ちて紅葉が素晴らしい。左は緩やかな起伏で、その間の土塁の道を歩く。アップ・ダウンを繰り返しながら行くと河内方向・西河内の標識がある。更に緩やかな登りを行くと、尾根散策・ドングリの道の標識がある(この辺りは高保木の森公園のエリヤ?)、尾根散策のルートをとり登って行くと山頂広場(標高682m ?)でベンチがある。 傾斜が急な下りで道は落ち葉で分らない中を木木に掴まりながら下る、途中に道が分りにくい箇所があるので注意する。野鳥の小道分岐からは遊歩道らしき道ではあるが石ゴロゴロの箇所も、伸びきった草ありで手入れがしてないようだ。13時7分に県道72号へ下山し県道を池田登山口まで歩く。
下山道にて 下山道にて県道72号へ下山
下山道にて 下山道にて 県道72号へ下山

平成之大馬鹿門(インターネットから)

1996年(平成8年)3月、京都仏教大学が、彫刻家の空充秋氏に門柱の製作を依頼し、空氏は、出来上がった石門に「平成之大馬鹿門」という銘を彫った。大学側は、「馬鹿という言葉は大学には不適切」として、この文字を削ることを要請した。しかし、空氏は「作品を削れというのは、自殺しろというのと同じ」と真っ向から対立、結局、空氏はこの2柱の石門を持ち帰ったというものである。

この騒動が、当時、メディアに大きく報道され、世間は賛否両論の声でにぎわった。

その後、平成之大馬鹿門を引き取りたい、という自治体や企業がが数多く名乗りを上げ、最終的に、兵庫県の千種町(現宍粟市)が引き取ることになった。

同町は2基の石柱を、ちぐさ高原にあるリゾート施設に通ずる道路への門と見立てて、両側の山に設置した。 1つは空山(901メートル)、もう1つは、おごしき山(1095メートル)だ。

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