勝山は鳥取市気高町勝見にあり中世の山城があった。 勝山城そのものの遺構は何もない、登山口にあるの標識と城の配置図のみ。本丸までの登山道は「西国三十三所観音霊場めぐり」の遍路道となっている。 |
地図 |
駐車場あり |
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駐車場から5分ほど登って行くと十字路となり鞍部となっている、左方向には第十二観音像がある。 更に右方向の丸太階段を登ると直ぐに尾根となり 二の丸に到着。広くなっており周りに数個の観音像が並んでいる。 |
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丸太階段を歩く |
二の丸跡 |
第十二観音像 |
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二の丸からは整備された平らな尾根を歩いたり、丸太階段を行くと分岐があり、左は三の丸を通って長泉寺への下山を分けて行くと直ぐに
頂上の本丸。 本丸は広く沢山の石仏(観音像)で囲まれている。北方向は日本海の展望が見られる。 |
平らな尾根 |
三の丸への分岐 |
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頂 上 |
頂上にある観音像 |
頂上から日本海 |
勝山城は、西方を大手門とし、東麓にある長泉寺側が搦手口となっていた。城址公園として整備されており、遺構は何処にも見られなかった。 各郭は観音霊場として整備されているので城跡の雰囲気はない。 勝山城は、興国年間(1340年〜1346年)首藤豊後守によって築城し、首藤氏は山名氏に従って因幡に入り勝山城を築城し居城とした。 永録年間(1558年〜1570年)には出雲の尼子氏の部将尼子正久によって攻められ落城した。 天正年間(1573年〜1592年)には羽柴秀吉の命によって鹿野城の亀井新十郎が攻めたが容易に落城せず謀策をもって落とした。 |
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