築城年代は不明だが、南北朝時代に赤松貞範によって築かれたと言われている。 戦国時代には、丹波の猛将赤井直正が居城した。 天正5年に始まった明智光秀による丹波平定戦の折り、黒井城は光秀に再三に渡り攻められ落城した。 光秀は、春日の局の父斎藤利三が城主とし、今に残るような城の規模に拡張した。 利三の娘である春日局(幼名:福)はこの城で生まれています。山麓にあった里屋敷が、現在興禅寺の建っているところだ。 その後、光秀が「山崎の戦い」で敗れると羽柴秀吉の家臣であった堀尾吉晴が入城。その後、川勝秀氏が関ヶ原の戦いでは西軍に与していたが、徳川家康から赦免を受けて戦後、 家康の命を受け丹波黒井城の最後の城主を務めた。 |
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登山口には左側に「ゆるやかコース」と右側に「急坂コース」があり、急坂コースから登ってゆるやかコースを下山。 登り始めは傾斜のきつい階段を上がって、急な斜面や滑りやすい道を注意しながら登って1時間ほどで本丸跡のある頂上へ到着。昔に登った竹田城跡を想像させる本丸跡。 |
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登山口 ゆるやかコース |
登山口 急坂コース |
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初めは急坂を |
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足踏みの段跡 (曲輪) |
足踏みの段跡にある門 |
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樹林帯を抜けて頂上は真近だ |
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後方は三の丸 |
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二の丸から三の丸へ |
三の丸から本丸を見る |
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本丸から春日町 | |||||
本丸からのパノラマ (クリック拡大) | |||||