立見峠たちみとうげの怨霊伝説
戦国時代、山名氏の重臣・武田高信は鳥取城に拠って主家・山名氏に背き、山名氏の居城・布勢天神山城に軍勢を向けた。

山名氏の若き武将・山名弥次郎は武田勢を追い散らし、城を出て追撃し、弥次郎は立見峠まで武田勢を追ったが、これは高信の計略で、 深追いしすぎた弥次郎は武田勢の伏兵に退路を断たれ、雑兵の手にかかるよりはと峠の頂上近くの窪地で自刃した。

それ以後、峠には無念の死を遂げた弥次郎の亡霊が出没するようになった。
弥次郎の亡霊は、風雨の強い日などに、具足をよろい白い綾布を鉢巻として、黒い馬にまたがり、虚空2〜3間あまり轡の音も高らかに通り過ぎたという。

恐怖した本高の村人は、弥次郎が自刃した窪地の近くに立見八幡(宮谷立見神社)を造り、弥次郎の霊を慰めた。


山名弥次郎の供養塔
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