美穂村の歩み(その4)
(資料 鳥取市史70年)
寛雄平と林喜平
藩政時代数学(和算)の権威であった林喜平は本村向国安の人である、味野の素封家である筧雄平は近来稀に見る篤行家としてその言行はよく郷党を導き、 或は教育に、社会事業に、全生命と全財産を投じたといってよい。
わが国で最も早く保育所を創始したのも翁であり、その業績は枚挙に暇がない。昭和7年2月12日永眠したが、翁の遺徳をたたえて今も美穂小学校の校庭に その頌徳碑が建っている。
なお、現在、政治評諭家としてまた柘殖大学総長として活躍している矢部貞治は本村向国安の出身である。

三代目小鍛治と竹生の踊 竹生には因幡の刀工として知られた三代目小鍛冶が住んでいたことがありその屋敷跡がある、また当地にはすぐれた盆踊が伝承されていて有名である。

歴代村長
金谷義周―同人(再)―近藤寛次郎―同人(再)―近藤文吉―有田喜太郎―原田千代蔵―同人(再)―同人(三選)―本城源雄―同人(再)―林仲治―三田喜代蔵―同入(再) ―林仲治(再)―林尚夫―算構治郎―有田嘉孝―三田吉之―国人(再)
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