因幡の傘踊り(美歎の傘踊り)
(資料 鳥取県伝説集)

時は、江戸時代も終わりに近いある夏のことです。因幡地方はひどい干ばつに見舞われ、田畑は千割れ、作物という作物は枯れ草同様になってしまいました。

そのとき、宇倍野村(現在の岩美郡国府町)の老農夫五郎作は、あまりの惨状を見かねて冠り笠を携え炎天の田んぼの畦に出て行きました。そして、五郎作は雨乞 いの悲願をこめながら、その笠を振り回して踊り始めました。
1日過ぎ、2日過ぎ、3日目の夜のことです。五郎作の気持ちが天に通じたのか、一天にわかにかき曇って大粒の雨が降り出しました。やがてそれは土砂降りの大雨 になり、その篠突く雨のなかで、感極まった五郎作はいよいよ踊り狂いました。

こうして、さしもの大干ばつも一夜にして解消され、心配されていた大飢饉も免れることができました。村人の喜びは大きく、感謝の気持ちは1人五郎作の上に集まりましたが、 五郎作はこの雨乞い踊りの過労がもとで、ついに数日後には不帰の客となってしまいました。
そこで、人々は悲しみのうちにも五郎作の霊を慰めようとして、次の年の初盆から、彼の踊りを真似て踊ることにしました。五郎作遺愛の冠り笠を先頭高く掲げて、 彼の遺徳をしのびながら、供養の踊りに夜を徹しました。

この踊りが国府町美歎などに伝わる「手笠踊り」ですが、それに明治三十九年、国府町高岡に住んでいた山本徳次郎が、剣舞の型をとり入れて長柄の傘踊りに振付 したのが「因軽の傘覇り一だといわれています。
 
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