因幡の傘踊り(横枕の傘踊り)
(資料 鳥取県伝説集)
天明六年のこと、因幡地方は数十日間の2で李が続き日照が続き、すべての作物は緑の色を失い、枯死寸前になりました。
そこで、鳥取市横枕の村人は、もはや神仏に祈願する以外に方策はないと考え、氏神社に七日間籠って雨乞いをしました。たまたまそのなかに手踊りの名手仁平と いう若者がいました。彼は、七日目の満願の日に、時の庄屋の許しを得て、雨傘に白幣をつけて神殿の前に進み出ました。そして、神楽歌を口ずさみ ながら踊り出しました。
参籠の人々はその面白さに見とれていましたが、やがて神官が鈴を振って仁平の傘踊りに調子を合わせました。
すると、今まで雲らしいものの何一つ見えなかった空に、急に黒い雨雲がたれこめて、見る間に土砂降りの大雨になりました。

こうして、その年の作物は無事に生き返ることができましたが、そのときの仁平の傘踊りが、後に有名な「因幡の傘踊り」になったといわれています。すなわち、 仁平の雨傘につけた白幣は、美しい長柄の傘になっても金銀などの短冊として残り、その傘についている数十個の鈴は、神官の振った鈴の故事によってつけられたとい われています。

その後、この「因幡の傘踊り」は、女性でも踊ることのできる「しゃんじゃん傘踊り」に改作されて、毎年八月十六日の「しゃんじゃん祭り」の夜に、鳥取の目抜き通り で踊られるようになりました。

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