若松城(鶴ヶ城)・飯盛山
 
地図
若松城(わかまつじょう)は、福島県会津若松市追手町1-1にあった日本の城
地元では一般的に鶴ヶ城(つるがじょう)といい、地元以外では会津若松城と呼ばれることも多い
約630年ほど前に、その前身ともいえる東黒川館を葦名直盛が築いたのがはじまりと言われ、戊辰戦争では約1ヶ月に及ぶ激しい攻防戦に耐えた名城として、その名を天下に知らしめました。
明治7年に取り壊されましたが、昭和40年に再建

会津若松城

表門(鉄門)

帯郭から本丸内の奥御殿に通じる表門で、北向きの多聞櫓城門である。
扉や柱が鉄で包まれていたことから鉄門の名がつけられている

天守閣から東方向
 
 
 
飯盛山(いいもりやま)
飯盛山は福島県会津若松市の中心部から少し東側にある標高314mの山。白虎隊自刃の地としても知られている。
中腹には、日本では大変珍しい木造建築物栄螺堂(さざえどう)(旧正宗寺三匝堂)がある。上りと下りで同じ道を通らず抜けられるという仕組みで、国の重要文化財に指定

白虎隊の墓

飯盛山から若松市内
白虎隊の墓
明治元年(1886)戊申戦争において飯盛山で自刀した19士の墓です。
8月23日(旧暦10月8日)自刀した隊士の遺骸は、西軍により手をつけることを禁じられていました。
役三ヶ月後村人により密かにこの近くの妙園寺に運ばれ仮埋葬され、後この自刀地に改葬されました。
現在の形に19士の墓が建てられたのは明治23年で、二度にわたり墓域が拡張されました。

(画像はありませんが想像してください)
右側墓は、会津の各地で戦い、亡くなった白虎隊士 31名の墓です。
左側の碑は白虎隊士と同じ年齢で県内各地及び新潟・栃木・京都で戦い、戦士した会津藩少年武士(白虎隊の仲間達)の慰霊碑です。
 
さざえ堂
1796年、会津若松市の飯盛山に建立された、高さ16.5mの六角三層のお堂で、正式名称は「円通三匝堂」。
独特な2重らせんのスロープに沿って、西国三十三観音像が安置され、参拝者はこのお堂をお参りすることで、三十三観音参りができるという合理的なもの。

上りと下りが全く別の通路になっている一方通行の構造により、たくさんの参拝者がすれ違うことなく、安全にお参りできるという世界でも珍しい建築様式を採用したことで、建築史上その特異さが認められ、平成8年に国の重要文化財に指定された。
明治時代になると、神仏分離令によって神道を信仰しため正宗寺は廃寺となり、三十三観音像は取り外された。

側面から

正面入り口から

回廊(入口から入って出口まで一方通行)

最上階の天井
 
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