防己尾山は湖山池に半島状に突き出した高さ38.8mの小丘(鳥取市金沢)。 この山には1579年(天正7年)、因幡国の有力国人・吉岡将監定勝によって城(防己尾城)が築かれた。 1581年(天正9年)の羽柴秀吉による因幡侵攻に伴い落城、廃城となった。 現在は公園として整備されている。 |
場所地図 左の山が本丸、右が二の丸 クリック拡大 |
駐車場からの登城口 |
本丸 |
本丸の一角には「防己尾城址」と刻銘された石碑が |
本丸から湖山池 |
二の丸から湖山池 |
西側の湖山池公園駐車場から |
|||
二の丸から湖山池(クリック) | |||||
防己尾城は平山城で3つの独立した高台を利用して本丸、2の丸、3の丸を設けその周辺に細かな郭が配置されました。 天正9年(1581)、 羽柴秀吉による鳥取城攻防戦では、吉岡氏は城方である毛利氏に従った為、秀吉と対立し、3度も防己尾城に兵を差し向けられましたが2度は押し返し 秀吉の馬印である千成瓢箪を奪取して指揮を高めたと伝えられています。 力攻めでは防己尾城を落とす事が出来ないと悟った 秀吉は亀井茲矩に命じ城を取り囲み兵糧攻めによりようやく落城し、廃城となりました。 |
|||||