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「宮籠」のルーツは

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会社勤めをしている頃に「今晩は宮籠りなので早く帰ります」と言うと、周りの人が「誰がわるいのですか」と聞かれた。
そう言えば子供の頃に祖母が「○○さんの宮籠に行く」と言っているのを聞いた事がある。
辞書によると、「祈願などのために神社にこもること」と記述されている。
いつの時代からか知らないが昔は難病の人があると集落単位で神頼みをしていたようですね。
さて、私の集落では趣旨は違いますが「宮籠」の行事を毎年一月八日、五月八日、九月八日に公民館に祭壇を設けて参拝して(今年は宮司を招待)から料理は持寄りで御神酒を頂きながら諸々の雑談をしております。
このような行事は場所によっては「お日待」と言って同様な行事をしていたようですが、殆どの所がなくなっておりますが何故か私の集落のみがいまだに続いております。
村の文書によると
昔は毎月八日の晩に各戸順番に祭壇を作り、御神酒と夜食を出しておったが、支那事変に始まり大東亜戦争となるも、それに相当した物資でまかない毎月続けていたが、昭和33年から上記の三回となり当番は四戸単位で世話をし、費用は四戸の負担とする。
何時の時代からか当番は三戸、御神酒は集落で負担し料理は持寄りでしております。
「しょうごく」と言って正月・五月・九月に実施するも「何故この月」になったのか知りたいです。

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