首里城 王陵たまうどぅん

首里城(世界遺産登録)
14世紀頃、琉球王国の居城として建築された城、正殿は王国時代に3度焼失し、太平洋戦争で4度目の焼失。
現在の建物は1992年に復元されたもの。 首里城はその役割から3つの空間に分けられる。正殿や南殿・番所、北殿、書院・鎖之間など、お庭と呼ばれる広場中心に、政治や外交が行われた「行政空間」 。そして、信仰上の聖域が点在する城内でも、最も神聖な聖地として崇めらた、京の内の「祭祀空間」。さらに、国王とその家族が住む御内原と呼ばれた「住居空間」。
御内原については現在計画・整備が進められている。 (観光資料、配布資料から)
右図は守礼門:城郭の外に立つ二層式の門(修理中で看板標識を撮る)
 
14世紀の沖縄本島は、北山、ほくざん中北山、ちゅうざん南山なんざんと 呼ばれる3つの勢力が群雄割拠していた三山時代。15世紀に入り、尚巴志(しょうはし) が首里城を拠点に三山を統一し、琉球王国が誕生した。
1429年から1879(明治政府による琉球処分)まで450年にわたった王政は栄華を極めた。(観光資料から)
正殿

首里城の中枢を担った建物。正殿内の1階では政治が執り行われ、2階では王家の儀式が行われた。1、2階とも国王の王座である御差床 (うさすか)が設けられている
北殿

 
南殿・番所(なんでん ばんどこ)

正殿に向かって右側にある、番所は首里城へ来客受付をした場所。南殿は薩摩藩の接待所として用いられた。そのため外観は 正殿や北殿のような朱色ではなく、白木造りのままなのが特徴。
 
御差床(うさすか)

国王の王座として様々な儀式や祝宴が行われた所。お寺によく見かける仏像をおく台(須弥壇) によく似ている
模型

この模型は首里王府が正月元旦に行った正月儀式「朝拝御規式」の様子を再現
歓会門

城郭内への第一門でアーチ型の城門に木造櫓を乗せたスタイル
 
園比屋武御嶽石門そのひやんうたきいしもん(世界遺産登録)
守礼門と歓会門の間にある石門。
琉球国王が外出する際に安全を祈願をした場所で、1519年に建てられた。木造の扉があり、門の形をしているが、人が通ることはできない 。背後は御嶽と呼ばれる聖地でねこの門は祈りを捧げる拝殿として存在する。
(観光資料から)
 
 
玉陵たまうどぅん(世界遺産登録)
玉陵は1501年、尚真王しょうしんが父尚円王しょうえんの遺骨を改葬するために築かれ、第二尚氏王統の陵墓となる。
墓は三つに分かれ、中室は洗骨前の遺骸を安置する部屋、創建当初の東室は洗骨後の王と王妃、西室には 、墓前の庭の王陵碑に記されている限られた家族が葬られました。(配布資料から)
 
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