地域の歴史
  
管理者の住所は、古代の頃は 因幡国高草郡味野郷、高草郡の設置は斎名天皇4年(658)と推定される。

江戸時代に入って味野郷の所属の村は、寛文年間(1661〜1672頃)には上味野・下味野・服部・横枕・玉津・竹生(竹字)・猪子の7か村(稲葉民談記)。

「因幡志」によれば、これに野寺村を加えた8か村。「因伯郷村帳」では、さらに朝月村を加えて9か村(藩史5)。

地域の歴史について調査することにし、資料(地域の古文書など)探しをするも見つからず、古文があっても解読できない。 市販されている本とインターネットを基にして、取りあえずまとめてみた。

参考資料
 日本歴史地名体系第32巻 鳥取県の地名 (平凡社 1992年10月3日発行)
 日本地名大辞典 (角川書店 1982年12月8日発行)
 
・時代区分
日本史の六分法による時代区分
(時代の始まりと終わりについて見解が異なるところもあり、定義されたモノではない。以降の参照として掲 載した
西暦 区分 日本史 主権 社会制度 備考
250年以前 原始 旧石器・縄文・弥生 - 共同体 支配関係がなく血縁関係で組織され、
共同生産・共同分配が基本
250-1185 古代 古墳・飛鳥・奈良・平安 天皇 良賤制 人民を良民と賤民に区別した。
賤民の最下位は奴婢(奴隷)
1185-1573 中世 鎌倉室町時代 武家 封建制 守護・地頭。荘園公領制。農業・商業の進展。
下剋上の戦国時代。
1573-1868 近世 安土桃山・江戸時代 武家 封建制 天下統一後に幕藩体制。
鎖国(オランダ・中国・朝鮮を除く)
1868-11945 近代 明治・大正・昭和初期 天皇 資本制 近代国家の建設。軽工業・重工業の育成。軍国主義。
11945- 現代 第2次大戦後 国民 資本制 GHQによる戦後改革。経済大国。平和主義。
 
 
歴史的行政地名
  1. 古代・中世(奈良〜室町・戦国期)   国・郡・郷・荘・保・名・里・村・厨・駅・牧・在家など
  2. 近世(江戸期)                藩・郷・荘・保・村・町・新田・宿駅など
  3. 近現代(明治期〜昭和期)        県・郡・区・市・町・村・および市区町村内の大字・町名など
 
鳥取市概要
鳥取市には奈良時代から鎌倉時代にかけて因幡国府庁が置かれ因幡国の政治、行政の中心となりました。
周辺には因幡国一宮である宇倍神社が建立されている他、伊福吉部徳足比売墓跡や梶山古墳、岡益の石堂、栃本廃寺跡など点在し高い文化が存在していました。

室町時代に入ると山名氏が因幡国守護職となり天神山城を守護所に定め長く支配しますが戦国時代の永禄6年(1563)には重臣で鳥取城の城主武田高信から攻められ天神山城は落城しています。
山名豊国は尼子氏の支援を受け天正元年(1573)に復権し、鳥取城に守護所を移すも毛利氏の侵攻により吉川元春に降伏、毛利豊元が城主となります。
しかし、尼子氏の残党により攻撃され鳥取城は落城、天正3年(1575)、毛利氏が因幡を統一すると再度山名豊国が城主となります。

天正8年(1580)、羽柴秀吉の鳥取城攻めにより逸早く豊国は降伏し織田信長に臣従し鳥取城を明け渡しますが、毛利氏の侵攻により再度毛利氏に従うことになります。
天正9年(1581)再度秀吉は因幡に出兵すると豊国は秀吉側に出奔、鳥取城には吉川経家が入り籠城戦が展開されるも3ヶ月後、経家の自刃と共に開城され以後、織田領となります。その後、秀吉の与力大名である宮部継潤が鳥取城の城主となり秀吉政権下ではさらに影響力を強め五奉行に名を連ねました。

慶長5年(1600)、跡を継いだ宮部長房は西軍に付いた為改易となり代わって池田長吉が6万石で入封し鳥取藩を立藩、元和元年(1615)に2代長幸が備中松山藩に転封になると元和3年(1617)に池田光政が姫路藩から32万5千石で入封します。
この頃に現在の鳥取市の基礎となる城下町の整備や領内の開発が進められています。寛永9年(1632)、同族の池田光仲が岡山藩から入封すると光仲系池田氏が明治維新まで12代鳥取藩主を歴任しています。

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