美穂村(各集落)
[近世以降]

美穂村
  1. 明治22年(1889)〜昭和28年(1953)の自治体名。はじめ高草郡、明治29年からは気高郡に所属。
  2. 明治22年(1889) 町村制施行に伴い下味野村, 朝月村, 上味野村, 竹生村(たけなり), 向国安村, 源太村の6か村が合併して高草郡美穂村が成立。
  3. 明治29年(1896) 3月29日 高草郡が気多郡と合併して気高郡となる。
  4. 明治24年の戸数300・人口1,814
  5. 村名の由来は、米の産地を象徴して美穂としたという。
  6. 役場は当初朝月に置かれ、後上味野に移転した。
  7. 鳥取市との交通は明治初年まで水路が利用されていたが、明治36年(1903)賀露〜岩坪間の道路改修が完了し、当村の交通の便は大いに発達した。
  8. 昭和28年(1953)鳥取市の一部となる。

向国安
  千代川下流左岸の氾濫源に位置する。川筋に近いためしばしば洪水の被害を受けた。
  1. 因幡国巴美郡の国安村の枝郷であつたが享和3年(1803)新田として幕府に届出、天保5年(1834)新 田村として分村した。(藩史5)
  2. 千代川は二股に分流し当地はその中州に位置したため、慶長年間(1596〜1614)には高草郡の亀井家と池田家との境界論争が発生し幕府の裁定で池田領となった。 当時池田領の62町歩は向国安用水組であったといわれる。元和3年(1617)池田光政が藩主となり同4年より当村の開拓に着手した(鳥取市70年)。
  3. 文化13年(1816)洪水により津出し道3カ所・土手1カ所が決壊(県史10)。
  4. 安政7年(1860)御鷹場に指定された(県史12)。
  5. 和算の権威者として知られる林喜平は当村の出身である(鳥取市70年)。
  6. 大正元年の大洪水で、地内2ヶ所の堤防が決壊し、大きな被害を受ける(鳥取市70年)。
  7. 明治5年に高草郡に編入(6年と記した資料もあり)。
  8. 明治24年の戸数43 人口247   昭和30年 人口257  昭和50年 人口190
竹 生
  千代川左岸の海抜約11mの沖積地に位置し、西を大井手川が流れ、広大な水田地帯が展開する。
  1. 因幡国高草郡のうち。鳥取藩領。
  2. 竹成とも記され(因幡民談記)、因幡国の名工小鍛冶景長の居住跡があり小鍛冶屋敷と呼ばれた(因幡祇志)。
  3. 安政7年(1860)御鷹場に指定され殺生留杭木が建設された(県史12)。また万延年間には鉄砲禁止杭が建設された(藩史5)。
  4. 特産品に蓆(ムシロ)があった(因幡民談記)。
  5. 氏神は武王(ムオウ)大明神で祭日は9月9日。
  6. 明治12年近隣16ヵ村の連合戸長役場が設置された。
  7. 明治24年の戸数31・人口156   昭和30年 人口195  昭和50年 人口138
  8. 昭和42年(1967)美穂・大和両小学校を統合して美和小学校とし、竹生に校舎新築。
上味野
  千代川左岸の海抜約10mの沖積低地に位置する。味野郷の中心をなす、周辺は広大な水田地帯で、西側を大井手川が北流する。
  地名の由来は、鴨の一種トモエガモを「あじ」といい、トモエガモの来る野原という意味にちなむとか、また「あち」は彼方を意味し
  彼方の原野にちなむとか伝えられる(因伯地名考)
  また古代民族部団の味野氏族に由来するとも言われている(気高郡史考)。
  地内の西、猪子の入口に玉津鵯尾の出城といわれる八頂山城址がある(因幡志)。
  古代味野郷(知名抄)の遺称地とされ、中世にも味野郷が成立していた。
  1. 因幡国高草郡のうち。鳥取藩領。
  2. 享保15年(1730)在下吟味役の居住地となった。
  3. 明暦3年(1657)鮭の瀬張りが許可された。延宝6年(1678)鮭漁期に藩の鮭の鮭奉行が来村した(藩史6)
  4. 安政7年(1860)御鷹場に指定され殺生留杭木が建設された(県史12)。
  5. 氏神は玉屋大明神で祭日は9月9日。また、寺は浄土宗願行寺、日蓮宗千部山清照寺がある。願行寺の本尊は正観世音、同寺の6世専誉上人は、因幡観音霊場三十三んか所を定め、長谷村の長谷寺を1番札所、願行寺を33番札所とした。
  6. 清照寺の寺領は、1石2斗。ほかに荒神社がある。
  7. 主要産物は鮭・鱒・鮎のほか瓜・茄子・蓆(ムシロ)など(因幡民談記)。
  8. 明治5年清照寺に上味野小学を開設、同校は同10年に中土井に移転し、猪子・下味野に支校を置いた。 同校の開設は明治6年で同7年の教員数は2、生徒数男43・女8(県史1近大5)。 明治16年猪子・長谷両小学校を上味野小学校に合併しその分校とした(鳥取市70年)
  9. 当初、朝月に置かれた美穂村役場は、のちに当地へ移転した。
  10. 大正5年、猪子〜上味野間の道路を改修し、幅員2bとした。(鳥取市70年)
  11. 明治24年の戸数46・人口282   昭和30年 人口381  昭和50年 人口305
  12. 昭和37年鳥取市立美穂保育所開設
朝 月
  朝付とも書く(因幡志)。千代川左岸の沖積地に位置する。味野郷のほぼ中央部にあたる。
  1. 因幡国高草郡のうち、はじめ下味野村の枝郷であったが、享和3年(1803)新田として幕府に届出、明治2年領内限りで分村した(藩史5)。ただし「元治郷村帳」ですでに1村と見えるので、幕末期には領内限りで分村していたと考えられる。鳥取藩領。
  2. 当初美穂村役場が置かれたが、のち上味野へ移転した。
  3. 明治24年の戸数47・人口260   昭和30年 人口362  昭和50年 人口328
  4. 昭和23年美穂農協が設立された。(鳥取市70年)
源 太
  千代川下流左岸沿いの自然堤防上に位置する。江戸期には千代川に橋が架けられなかったため、「源太の渡し」と呼ばれる渡船があり、
   これは源太平という人物により始められたと伝えられる(鳥取市70年)。
  1. もとは国安の一部
  2. 明治5年私費で仮橋が架橋された(鳥取市報)。
  3. 明治24年の戸数13・人口80   昭和30年 人口118  昭和50年 人口148
  4. 明治22年、近在有志の手で私有の橋を架橋したが、洪水のたびに押し流されて下流の千代橋・八千代橋に被害を与えるということで、以降架橋は許されなかった。
  5. 昭和9年源太橋渡り始め式が行われた。長さ195m・幅4mの山陰一の木橋であったが、架橋12日後の室戸台風の洪水で一部を残して流失。同年中に修復されたが、同18年の風水害で再度流失。
  6. 昭和26年延長341m・幅5.5mの鉄筋源太橋が完成した。
源太橋
千代川に架かる永久橋。鳥取市国安と源太を結ぶ。一般県道猪子国安線が通る、橋長357.5m・幅員5.5m。橋の型式は鉄筋コンクリート ゲルバー式T型桁橋。昭和26年竣工、総工費3,200万円。
藩政期の国安の渡しに代るものと考えられる。明治5年仮橋、同15年源太橋架橋の記録がある。いずれも民営有料。同22年に流失の際、下流の千代・八千代橋に 損害を与えるとの理由で以後架橋は許されなかった。
昭和9年9月「源太の渡しにさらば」(因伯時報)と報道された。
山陰最長の木橋(橋長195m・幅員4、工費3万285円)が竣工13日目に流失。その後、同26年の現在の橋の架設まで渡しが続く (鳥取市報)。同54年下流側に因幡自転車道専用源太自転車道橋が架設された。
下味野
  千代川左岸の海抜約10mの沖積低地に位置する。地内西側には標高200mの山地が接近し、その間を大井手川が北へ流れる。
  地名の由来は、鴨の一種トモエガモを「あじ」といい、トモエガモの来る野原を意味するとか、「あち」は彼方を意味し彼方のに
  原野ちなむとか伝えられ(因伯地名考)、また古代民族部団の味野氏族に関係するとも言われる(気高郡史考)。
  集落は、かって現在より南の豊芝谷のあたりにあったが、洪水により民家が押し流され、現在の地に移住したという。
  豊芝谷の奥にある山地には、篠坂の城に連なる馬匿城があったと伝えられる(因幡志)。
  1. 因幡国高草郡のうち。鳥取藩領。
  2. 枝郷に野寺・朝月があったが、野寺は元禄14年(1701)に分村、朝月は享和3年(1803)新田として幕府に届出、明治2年領内限りで分村した。
  3. 村内には牛市が立ち、また叶への渡船場があった(藩史5)。 明暦3年(1657)鮭の瀬張りが許可され、延宝6年(1678)には鮭奉行が来村した(藩史6)
  4. 「因幡志」によれば、枝郷に朝月・赤池があり。
  5. 氏神は正一位の牛頭天王で祭日は9月9日、ほかに本尊を薬師とする辻堂、八幡宮、三宝荒神、八大荒神、稲荷大明神、荒神がある。
  6. 牛頭天王社領は1石2斗、また当村にはほかに竜峰寺領200石があった(藩史4)。
  7. 明治10年上味野小学校の分校が設置された(県郷土史)。
  8. 明治22年わが国初の保育所を筧雄平が創立。同32年分教場の開設に尽力。願行寺に属する尼寺に、同23年託児所(農繁期保育所)、同32年頃下味野子供預かり所が設置された(県郷土調査)
  9. 大正元年大洪水により堤防1カ所が決壊した(鳥取市70年)。
  10. 大正10年下味野分教場を廃して本校に併合(鳥取市70年)。
  11. 明治24年の戸数120・人口789   昭和30年 人口1223  昭和50年 人口1188
  12. 昭和25年頃から因幡傘踊りが有名となり、のち保存会結成。
 
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