鳥取地名の由来(その5)

前回ご紹介したように、鳥取県の名前の由来は、平安時代に書かれた和名類聚抄に出てくる因幡国の「鳥取郷」まで遡ることができます。そして、 その「鳥取郷」という地名は、古代、白鳥を捕らえて朝廷に献上する「鳥取部」という部民の住んでいた土地に由来するといわれています(ちなみ に鳥取県史によると、「鳥取部」は、河内・和泉・伊勢・美濃・上野・越前・丹波・丹後・但馬・因幡・出雲・備前・備中・肥後など広く日本中に 分布していたそうです)。

そこで今回は、「鳥取部」の起源を求めて、日本書紀や古事記という神話の世界を訪ねてみたいと思います。まず、日本書紀の方から紹介してい きましょう。「鳥取部」は、巻第六の垂仁天皇の条に出てきます。

天皇の御子、誉津別(ほむつわけ)王は、30歳になっても言葉を話しませんでした。ところがある日、空を飛んでいた鵠(くぐい:白鳥のこと) を見て「是何物ぞ」と、生まれて初めて言葉を発したのです。

喜んだ天皇は、誰かその鳥を捕まえられないかと聞きます。それに応じた天湯河板挙(あめのゆかわたな)が鳥を追い求め、ついに出雲で捕らえ 皇子に献上しました。すると、皇子が話せるようになったので、天皇は天湯河板挙の功績に報い、「鳥取造」という姓を与えるとともに「鳥取部」 などを定めたということです。

次に、古事記を見てみましょう。こちらは、日本書紀に比べるとかなり長い物語で、内容もずいぶん違っています。

前半は、登場人物の名前などが違うことを除けばほぼ似通った話で、大人になっても話をしない本牟智和気(ほむちわけ)御子が、鵠(白鳥)の 声を聞いて言葉を発するところから始まります。そして、垂仁天皇の命を受けた山辺の大*(やまのへのおおたか;*は左が帝で右が鳥)が、その 白鳥を追い求めて日本各地(因幡、つまり今の鳥取県も含む)を巡った末、ようやく高志国(今の新潟県)で捕え献上します。

しかし、古事記では、白鳥を献上しても皇子は話すようになりません。天皇が心配していると、ある神が夢に現れて「私の宮を修理したら御子は 話せるようになるだろう」と告げます。占いをしたら、その神は出雲大神(つまり大国主命)だということが分かりました。そこで皇子がお供を従 えて出雲まで詣でたところ、その帰りに言葉が話せるようになりました。天皇は喜び、御子にちなんで「鳥取部」などを定めたということです。

美しい白鳥伝説のはずが、実は大国主命のたたりのせいだったという、なんともすごい話ですね。ともあれ、これが古事記に出てくる「鳥取部」 の起源譚です。

ところで今回、このほかにも古事記中に2か所、「鳥取」という言葉を見つけました。「鳥取」という地名の起源は「鳥取部」にあるはずなのに、 「鳥取部」より前に「鳥取」という地名(や神名)が出てくるのは面白いなと思ったので、ちょっと紹介しておきます。

ひとつは上で紹介した話の少し前で、垂仁天皇の御子が「鳥取の河上宮」で太刀を千振つくらせた、という記事が出てきます。「鳥取の河上宮」と いうのは、和名類聚抄に出てくる和泉国の「鳥取」で現在の大阪府阪南市に当たると考えられています。日本中に数ある「鳥取」の中でも、最も由 緒ある地名といえるかもしれません。

また、古事記の中で、大国主命は6柱の女神と結婚していますが、6番目の妃は「鳥取神」という名前です。この「鳥取神」という神は他の古代 史料に現れないため、残念ながらその名の由来までは分からないようですが、大国主命の最初の妃が「稲羽之八上比売(因幡の八上姫)」で、最後 の妃が「鳥取神」というのも、なんだか不思議な縁を感じませんか。

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