鳥取地名の由来(その6)

このシリーズでは、「鳥取県」の名前の由来を訪ねて、古事記・日本書紀という神話の世界まで遡ってきました。これで当初の目的は一応果たせ たかなと思うのですが、いろいろ調べていく中で、いくつか興味深い雑学ネタを見つけましたので、それらを紹介していきたいと思います。今回は、 「鳥取という地名で、最も由緒あるものは?」がテーマです。

答えのひとつは、前回紹介したように、古事記の垂仁天皇の条に出てくる「鳥取の河上宮」です。現在の大阪府阪南市に当たると考えられていま す。垂仁天皇の在位は(西暦で)紀元前29年から紀元70年ということですから、阪南市内にある「鳥取」、「和泉鳥取」、「鳥取中」、「鳥取 三井」といった地名は2千年の歴史を持っていると言えるかもしれません。

ただ、これは神話の世界を含んでいますので、本当に2千年の歴史があるかどうかは、残念ながら誰にも分かりませんね。

では、古代の史料で裏付けられる最古の「鳥取」はどこになるのでしょうか? 調べてみたところ、どうやら藤原宮跡から出土した木簡に記され ている「旦波国竹野評鳥取里大贄布奈」が最古のもののようです。

これは、現在の京都府京丹後市弥栄町に当たると考えられていますが、藤原京といえば、694年に飛鳥京から遷都され710年に平城京へ遷都 されていますから、京丹後市弥栄町の「鳥取」は、正真正銘1300年の歴史を誇る地名と言えるのではないでしょうか。

ということで、阪南市と京丹後市弥栄町が私たち鳥取の地名ファン(そういうかたがおられたらですが)の聖地と言えそうです。

さて、ついでにおまけ情報をひとつ。「鳥取」という地名を含んだ木簡は、静岡県浜松市の伊場遺跡からも「駅家 宮地駅家 山豆奈駅家 鳥取 駅家」と記されたものが出土しています。この「鳥取駅家」というのは、『古代地名大辞典(角川書店)』によると、『延喜式(えんぎしき:古代 律令の施行細則を定めた法令集)』兵部省諸国駅伝馬条にある東海道参河国三駅の一つで、現在の岡崎市矢作町付近にあたるだろうということです。

岡崎市といえば、鳥取城北高校出身の新大関・琴光喜関が子どものころ暮したところとして有名ですね。ちなみに地図で矢作町の場所を確認する と、同市の中でも琴光喜関が育った地域から10キロも離れていません。

われらが琴光喜関と鳥取との縁が、こんなところにもあったんだと知って少しうれしい気持ちになりました。

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