鳥取は古代、「ととり」と呼ばれていたと言われています。ではどうして「とっとり」ではなく、「ととり」なのでしょう。不思議に思いません
か?先月に引き続き、そのあたりを考えてみます。 前回お伝えしたとおり、平安時代の辞書・和名類聚抄(わみょうるいじゅしょう)に出てくる和泉国の鳥取郷に「止止利」と万葉仮名で注記され ています。これが「ととり」の根拠ですが、こんな疑問もあります。「平安時代も『とっとり』と発音していたけど、当時はまだ促音の表記がなか ったから『ととり(止止利)』と書いたのではないか」。 例えば、仮名文学の名作・土佐日記は「おとこもすなるにきといふものを・・・」と始まりますが、「この『にき』というのは日記のことで、実 際は『にっき』と読まれていただろう」と古典の授業で教わった人もいることでしょう。それと同じでは?という疑問です。 なんとなく、もっともな気がしますね。でも、実は両者には大きな違いがあります。それは、「にき(日記)」が漢語なのに対して、「ととり」 は和語(鳥を取る)であることです。 漢語は中国から伝わった発音がもとなので、「表記は『にき』でも実際は『にっき』と呼ばれていた」としても不思議ではありません。でも、和 語である「ととり」にはそんな特別な事情はありません。逆に、「とっとり」と発音されていたのなら、そう表記をされていた(当時すでに促音表 記が存在していた)はずです。 というわけで、現在の鳥取県名の祖先である因幡国邑美郡の鳥取郷(和名類聚抄)は、平安時代「ととり」と呼ばれていたというのは、十分に根 拠があるように思われます。 さて、時代をさらに遡って、奈良時代はどうだったのでしょうか。古事記や日本書紀では、「鳥取」と表記されていて読みは不明なのですが、注 釈書をみると決まって「ととり」と仮名が振られています。 「皇子のために『鳥を取った』ので『鳥取造』姓を賜った」というのですから(日本書紀)、もともとは「とりとり」であったとみて間違いない でしょう。それにも関わらず、研究者の皆さんは、奈良時代までに「ととり」へと変化していたはずだと判断しているわけです。なぜでしょう? 「ととり」という読みについて具体的に解説してくれている本はありませんが、おそらく次のようなことが判断の根拠になっているのではないか と思われます。 一つには、人名や地名などは発音が変化しやすい傾向があること。「鳥取」と似たような例を挙げると、たとえば「はたおり」が変化した「はと り(服部)」とか、「しつ(織物の一種)おり」が変化した「しとり(倭文)」など、枚挙に暇がありません(ちなみに、「服部」という地名は、 今も鳥取市や倉吉市に残っています。「倭文」が湯梨浜町にある伯耆国一宮の社名であることは、言うまでもありませんね)。 また、「ととり」のように「鳥」が「と」と読まれている地名を古代の文献から探してみると、万葉集にちゃんと「とは(鳥羽)」とか「とこの やま(鳥籠山)」といった例があることが分かりました。 こうしてみてみると、奈良時代もやっぱり「ととり」と呼ばれていたと考えていいようですね。 最後に、蛇足をひとつ。古事記では、固有名詞など読みづらい言葉の一部は音読みできるよう工夫されていますが、「鳥取」を「ととり」と読ま せるような仕掛けはありません。ひょっとしたら、「ととり」と読むのは、当時の知識人にとっては常識だったのかもしれません。それくらい「鳥取」 という言葉はよく知られていたのかも...まあこれは、ちょっと考えすぎでしょうか。 |
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