鳥取地名の由来(その9)

鳥取」という地名は、意外と全国各地に存在しています。以前、お伝えしたとおり、現在または過去に「鳥取」を含む(含んだ)地名を持つ県 を探してみると、北は北海道から南は熊本県まで、なんと15道府県も見つかりました。本シリーズの最後にあたって、それら全国の「鳥取」を紹 介したいと思います。今回は、東日本(東海・北陸を含む)編です。

<北海道>
釧路市に、「鳥取大通」、「鳥取南」、「鳥取北」という地名があります。また、足寄(あしょろ)郡足寄町に「鳥取」という地名があります。 いずれも、明治時代の士族授産や殖産興業政策の一環で、鳥取県民が移住した入植地です。釧路地方への入植は、鳥取県からの移住で最も規模の 大きなものでした(明治17〜18年、釧路村を分割してつくった「鳥取村」に総戸数105戸513人が移住)。その後「鳥取村」は、昭和18 年からの「鳥取町」を経て、24年に釧路市に編入されました。鳥取県から北海道への移住地は、池田町(町名は、池田農場を開いた旧 鳥取藩主・池田慶徳侯の名前に由来)を始め、釧路以外にもいくつかありますが、そのうち足寄郡足寄町の上足寄に「鳥取」という字(あざ)名が 残されています。

   <福島県>
伊達郡国見町に、「鳥取」、「新鳥取」という地名があります。古くは、『吾妻鏡』に、文治5年(1189年)、源頼朝軍が「鳥取越」 をして奥州平泉の藤原郡を攻略したという記述が出てくるほか、戦国時代に「鳥取村」という地名が現れます。その後、「鳥取村」は、明治22年 に合併して小坂村に、さらに昭和54年に国見町になりました。現在は上記のような地域名として残っています。 なお、福島県における「鳥取」といえば、明治時代における安積(あさか)地方への入植を思い浮かべる人もおられると思います。実際、鳥取か らの安積入植は、釧路入植に次ぐ規模の大きなもので、現在もたくさんの子孫のかたがたが暮しておられますが、釧路と違って、入植地に「鳥取」 という名はつけらなかったようです。

<群馬県>
前橋市に「鳥取町」という地名があります。「鳥取」という地名は、室町時代(1487年)の『上杉定昌書状』に、 「鳥取在陣衆」と出てくるのが初出のようです。「鳥取村」は、合併して明治22年に芳賀村に、さらに昭和54年に前橋市となりました。現在は、 上記のような地域名として残っています。

<千葉県>
平安時代の地名として、「鳥取駅」という駅名が見られます。場所は現在の佐倉市内に当たり、「下総国印旛郡鳥取駅」という東海道 の駅家であったようですが、延暦25年(806年)に廃止されてしまったということです(『日本後記』)。

<富山県>
射水(いみず)市に「鳥取」という地名があります。室町時代の古文書に「越中の鳥取」という言葉が出てくるのが、初出の ようです。「鳥取村」は、後に合併して「大島町」に、さらに平成17年に合併して射水市となりました。現在は、上記のような地域名として残っ ています。また、平安時代の『和名類聚抄』に、「越中国新川郡鳥取郷」が出てきます。ただし、写本によっては「今亡」と注記されていて、当時既に存在 しなかったようなので、所在地がどのあたりであったかは不明です。

<愛知県>
西尾市平坂(へいさか)町に「鳥取」という地名があります。古くは、静岡県浜松市の伊場遺跡から「宮地駅家 山豆奈駅家 鳥取駅 家」と記された木簡が出土しています。この「鳥取駅家」というのは古代の東海道の駅家で、『古代地名大辞典(角川書店)』によると現在の岡崎 市矢作町付近に当たるとされています。西尾市は岡崎市のすぐ隣ですから、ひょっとしたら平坂町の「鳥取」も、古代の「鳥取駅家」と何らかの関係 があるのかもしれません。

<三重県>
員弁(いなべ)郡東員(とういん)町に「鳥取」という地名があります。三重県には、かなり近い範囲の中に「鳥取」の名のつく神社が3つもあ ります(東員町にある「鳥取神社」と「鳥取山田神社」、そして隣のいなべ市大安町にある「鳥取神社」)。このうち東員町の「鳥取神社」の周辺 は、もともと北山田村という名前でしたが、合併で東員町となったときに「鳥取」という大字がつけられました。
その8へ バック その10へ