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今年は那岐山へ13回

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昨日、那岐山に登った、頂上は強風と粉雪である頂上写真を1枚撮って下山し避難小屋で昼食、避難小屋を出ると天気は回復している、時々晴れ間がありまわりの景色を満喫しながら下山する。
さて、今年は元旦に那岐山へ登り、今年最後の登山も那岐山だ。
今年の山行きは42回、そのうち13回は那岐山である、結果としてそうなった。
鉄人さんは昨年240回、Mさんは160回ぐらい登られた。今年は何回登られたのか、昨日もお二人に会ったのに聞けばよかったが後の祭りだ。
ここ2・3年は山登りも今年が最後になるかもと思いながら何とか頑張っている、登りたい山が2・3カ所あり一昨年から計画しているのだが、天気と相談しながら、また日々の雑用で昨年も今年も行くことが出来ず残念だ。
来年は必ずその山へ行くことを目標にして頑張ろう。
                        
                平成25年12月31日

和意谷敦土山(わいだにあづちやま)

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和意谷敦土山は備前市吉永町の高原上にある「旧岡山藩主池田家歴代の墓所」を含む地域で、周囲を標高350~400mの急峻な山々に囲まれた絶景地です。
墓は一のお山から七のお山まであり、代々の藩主と正妻、側女、その嫡子の墓が点在している。
墓の山を巡り、三角点のある327mまで行く予定でしたが墓巡りで時間オーバーのため和意谷敦土山へは行かずに帰りました。

入口には鳥居があり、石を敷き詰めた(崩壊しているが、踏み石2000個が並べられた2kmの道) 参道を登って行く、標識に従ってそれぞれの墓を見学しお参りする。

画像上 鳥居と参道
画像下 亀の形をした台石の上に大きな墓碑が載った「一のお山」    池田光政の祖父輝政(てるまさ)の墓 

那岐山登山時に「トレイルランニング」に出合う

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頂上で昼食していると東方向の尾根を大勢の人が走ってこちらへ来ている。頂上へ来られたので聞いてみると、「トレイルランニング」と言われ全国から来ているとの事。
頂上で休憩して、後グループを待って滝山方面へ行くらしい。このグループを後にして智頭方向へ下山していると、後方から二名が走って下りて来られ、「滝山はこの道か」と聞かれる。
私が居なかったら「どうなったことか ?」

「トレイルランニング」とは、ランニングスポーツの一種で、舗装路以外の山野 を走るものをさす

淋しいが、これでいいのだ !!  

マイカー(1800cc) を買い替えて19年が過ぎ、走行距離も10万Kmを越えた。
「乗りつぶす」予定で昨年からタイヤ(スノータイヤも)、エンジンベルト、バッテリーを取替しカーナビも購入。
9月に駐車場でエンジンがかからないので翌日、自動車ディーラーと駐車場へ、キーを回すとOKだ。
原因不明だ、10月が車検なので修理場へ持ち帰って原因を調査してOKなら車検をするようにお願した。
車検が終わって間もなく交差点で信号待ち中にエンジンストップ、再スタートでOK。また、徐行運転中にストップするも再スタートでOKだ。
原因は判明したが、これでは先々が心配なので買い替えすることにしてディーラーと話してその場で車種を決めたが、何故か小型車であった。
淋しいが、これでいいのだ !!  

氷ノ山へ紅葉を見に登山

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紅葉を期待して氷ノ山へ行きました。
三連休の最初の日で沢山の登山者で賑やかでした、お蔭で登り・下りの登山者との挨拶は大変だ。
でも、これが登山時のマナーでしょうか。
登山を始めた頃に穂高へ登り、下山時に登って来られる登山者に挨拶した時に怒られた事を思い出しながら「今日ワー」と言ったり、黙ってすれ違ったり、先方から挨拶されたり、複雑な気持ちを抱きながら下山しました。
穂高登山者が怒られたのは、登山時で「苦んでいる時」に下山者からの連続の挨拶に対応しきれなくて言われたようだ。

出雲大社近くの弥山(506m)に登りました

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阿須伎神社近くの登山口から弥山に登るも、倒木や瓦礫の中で踏跡の分かりにくい道を「赤リボン」を頼りに登りました。
手入れのしてない自然のままの状態でルート案内は木々に付けた「赤リボン」と急坂の「ロープ」だけ、神の山なで手入れが出来ないのかも。
頂上近くの三角点まではキツイ坂道の連続で、登り1時間15分の予定が2時間10分かかり、その上、最後列の3人がルートを外れのため、下山したのが17時30分とうす暗くなり、予定していた出雲大社の参拝・ワイナリーへは行かず鳥取へ直行となる。

画像 ;右は頂上から、前方に三瓶山が見えます

我が家の実りの秋

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帰省時に植栽していた果樹が今年も元気に成長しております。山に植えていた栗は周りの杉に囲まれて日蔭となり殆んどが枯れましたが細い「ひょろひょろ」の2本に少しだけ実りました。
他のものは元気に育っており採取を楽しみにしています。

宝仏山から大山がよく見えました

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根雨町の役場に駐車して日野町歴史民俗資料館横から入り、林道を横切って山道へ入り杉林や雑木林の中をひたすら登って行く、小平(コナル)や大平(オオナル)は緩やかであるも、ほかは傾斜のあるところ、薄暗い道をひたすらと2時間40分も歩いて頂上へ。連れは途中で休憩、一人で下ばかり向いていたのか茸が目につく、しかし頂上での大山は素晴らしい、手前右方向には毛無山が、爽快な気分となる。

「釜立祭」のルーツは

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私の集落では、毎年九月十五日は「釜立祭」なる神事があります。
神社で「釜」に水と五円玉(十二個)を入れて湯を沸かし、神主さんが神事行事を行います。
この行事は「豊作祝い」とも謂われているようです、終わってから、直会(なおらい)を盛大に行っております。
 私の集落では、類似した神事行事で「宮籠」を1・5・9月の8日に行っており(このブログで13年1月)、古い伝統を引き継いでおりますが何れもルーツが判りません。

篭山へ登りました

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昨年は展望がよい尾根歩きで右方向に遠く日本海を見ながら、また左方向に那岐連峰を、前後左右の景色を見ながら、時にはススキ原の中を歩きながら登り、下山は途中まで岩神登山道を経由して、道に落下していた栗を拾いながら下りました。
今年は稜線直下から頂上までササ原とススキに登山道が覆われルートを確認しながら登りました。お蔭でススキに覆われた山を見たり、花を撮ったりしながらゆっくりと登ったので2時間50分かかりました。(昨年は2時間)
また、途中で“ヤマモモ”らしきものがあったので2個食べてみる、甘酸っぱくて美味しいが、自信ないので持ち帰ってインターネットで確認、ヤマモモでした。早速、山桃酒にした。

写真 上 左は撮った花の合成  右は山桃の木
    中 左は途中で下界を見る 右はススキの中を歩く
下 笹原の中を歩く