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仙谷ルート(氷ノ山)を下山しました

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氷ノ越コースの往復の予定で登り下山時に仙谷分岐で休憩している時、仙谷ルートを歩くのも最後になると思い仙谷ルートを下りることにした。
数年前に、父娘が下山している時に迷い込んで父が死亡している事をおもいだす、このルートには沢分岐は殆んどなく迷うことはないのだが、その後の豪雨でルートは禁止となったが登山中に、「仙谷ルートは危険です」の標識を見る。
急傾斜の尾根を下り、行き止りで沢へ直滑降に近い傾斜をロープに摑まって下る、途中に進入禁止のロープが張られていた(父娘はここへ入りこんだのでは)。
沢に沿って下って行けば迷うことなく仙谷登山口へ行くのだが下山道は荒れており、案内標識がなければ不安を感じながらの下山となるかも。
岩・ゴロ石の道を歩いたり、何回か沢を徒渉したり荒れたところを下山するも不安箇所には案内標識が設置されている。

那岐山は雪でした

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寒気が入っており寒い、ビニールの雨具を着て尾根コースを登って行くもイワウチワはまばらに咲いているが元気がない、シャクナゲも所々に咲いている、シャクナゲ峰に1本の木にまとまって咲いているのを見る。
尾根コースのイワウチワも昨年に比べて少ないようだ。
避難小屋の手前で霧雨から小雨となり、小屋で合羽にスパッツの雨対策で登って行く。
高度があがって行くに従って道の両サイドは雪となる、下山して来られた中年男性から頂上の温度は2度と言われる。
三角点ピークの近くになると展望が開けるのだが、今日は小雨とガスで何も見えない中を歩いて避難小屋へ、小屋には9名の登山者がおられる、ここで昼食してから頂上へ。
何も見えない、尾根を歩いて東仙コースを下山する途中で長野から一人で来られた中年女性に追い越される。

写真 上段の左 イワカガミ  右 シャクナゲ(西仙コース)
   下段の左 シャクナゲ(東仙コース) 右 尾根縦走中

久しぶりの散歩

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久しぶりに散歩ルートを歩いた。今年になってから何回目かしれないが以前のようには歩く意欲がなくなった。山道に入って、“ゼンマイ”がないか注目しながら歩く、時期的には早いが所々に自生している、道路端なので誰かが採った後がある。
山道を過ぎてシャクナゲが咲いている集落を過ぎ、再び山道へ入って、少し恩恵を受けていた“タラの芽”はどうかと見る、残念、すでに木ごとに切り取られていた。毎年、木ごとの伐採、このためか最近は少なくなった気がする。芽のみ採ればよいのに。

那岐山で大山がよく見えました

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 天気予報では28日は全国的に晴天の予報、山陰では久しぶりの天気なので急遽、那岐山へ行った。
9時前には駐車場へ着くも駐車余地は2台分しかなかった。
何時もののことだが、年のせいで頂上まで苦しい歩きとなる。
以前は30分ぐらい歩くと楽に歩けたのに。
頂上からの展望は北・西方向は視界がよく素晴らしい遠望が、これまで何度も大山は見ているが遠くに霞んでいたのに今日は近くにハッキリと見ることが出来た。肉眼で見ているのに、この違いは何だろう。
今年の一月の初めには何年に一回あるか、ないかの素晴らしい展望の日があり、日本海の水平線が鳥取の東から西の大山方向まで見えた日があったと鉄人さんが言っておられたが、今日は見えなかった。

王子ヶ岳へ行きました

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王子ヶ岳には何時かは登って「ニコニコ岩」を見ることにしていた、そのチャンスが巡って来た、所属しているハイキングクラブが計画されたので参加した。王子ヶ岳は玉野市と倉敷市の境に位置し、新割山(234m)を中心とした山稜一帯を王子ヶ岳と呼んでいる。
登頂時間はピークまで1時間10分ぐらいだ。360度の展望が見られ、瀬戸大橋をはじめ四国の讃岐富士・瀬戸の島々などが眺められる、残念ながらかすんではっきり見えなかった。
すぐ前には「ニコニコ岩」が。

雪山の那岐山を普通長靴で

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山の駅を過ぎて自衛隊の戦車C道の入口付近で数台の車が駐車して数人の人が登山準備をしている、駐車場への道は道路が凍結しているようだ。
私も此処に駐車してザックを取り上げ出発するもお茶がない、昨年から3回目だ。道の駅までバックして仕入れてから普通の長靴で出発する。
登って行くに従って積雪も多くなる、トレース跡を踏んで行く、大神岩を過ぎると積雪量も格段に多くなり、ゆっくりと、トレース跡を歩くも、時々軟弱個所を踏みこんで片足が股下まで「ズポリ」、抜いて雪はらいと長靴に入り込んだ雪を取りながら登る。
家を出るまでは紐付きの長靴(雪侵入防止)で行く事にしていたのに、また登山靴にアイゼンも準備して居りながら、積雪についての注意がなかったためにこんな状況になり反省しております。

「宮籠」のルーツは

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会社勤めをしている頃に「今晩は宮籠りなので早く帰ります」と言うと、周りの人が「誰がわるいのですか」と聞かれた。
そう言えば子供の頃に祖母が「○○さんの宮籠に行く」と言っているのを聞いた事がある。
辞書によると、「祈願などのために神社にこもること」と記述されている。
いつの時代からか知らないが昔は難病の人があると集落単位で神頼みをしていたようですね。
さて、私の集落では趣旨は違いますが「宮籠」の行事を毎年一月八日、五月八日、九月八日に公民館に祭壇を設けて参拝して(今年は宮司を招待)から料理は持寄りで御神酒を頂きながら諸々の雑談をしております。
このような行事は場所によっては「お日待」と言って同様な行事をしていたようですが、殆どの所がなくなっておりますが何故か私の集落のみがいまだに続いております。
村の文書によると
昔は毎月八日の晩に各戸順番に祭壇を作り、御神酒と夜食を出しておったが、支那事変に始まり大東亜戦争となるも、それに相当した物資でまかない毎月続けていたが、昭和33年から上記の三回となり当番は四戸単位で世話をし、費用は四戸の負担とする。
何時の時代からか当番は三戸、御神酒は集落で負担し料理は持寄りでしております。
「しょうごく」と言って正月・五月・九月に実施するも「何故この月」になったのか知りたいです。

頂上で鉄人さん、Mさんと

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那岐山で頂上近くを登っていると後方で人の気配を感じ振り返ると鉄人さんが居られる。道を譲るも、「先に行きなさい」と言われ頂上まで先頭に。
頂上には誰も居ない、登頂時間は2時間10分、鉄人さんは途中で4人組と同伴したので1時間10分との事。
頂上での展望は360度の方向が見られるも春霞みで遠くは“ぼやけて”いるが鳥取方向は鳥取市が篭山の後方にぼんやりと見えた。
鉄人さんは「今年は何年に一回あるか、無いかの素晴らしい日があり、鳥取の東から西の大山まで連続した日本海(水平線か)を見た」と言われる。
 鉄人さんの下山の後、食事しているとMさんが登って来られ、私の長靴を見て「長靴がいいでしょう」と言われる。年末・元旦登山も長靴だ、登山靴よりも軽くて歩き易い感じがする。
あれが「一昨日死亡事故があった明神岳だ」と指さされるも「ぼんやりと見えたり、見えなくなったり」、年末は北方向の山を教えて貰ったので今日は東方向の後山・駒ノ尾・日名倉など見る。私もこの様になりたいものだ。
写真は鉄人さん(掲載了解済)と下山したBコース(山稜)

観音さんは何処え行ったの?

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那岐山Cコース登山時、水場を過ぎて大神岩へ登って行く途中の苦しい時期に観音さんに出合います。ここでチョット立ち休憩をして頑張ります。
年末の登山時に“あれー、観音さんがない”、誰かがいたずらして雪中に「埋もれた」と思ってました。
元旦登山時に在ることを期待して登りましたが残念、周辺を探すも見当たりませんでした。
何かの理由で誰かが移動されたのでは、移動の目的が達成されたら返して下さいね、次回の登山時には在ることを期待してます。

左は昨年11月28日
右は今年の元旦

那岐山へ鉄人さんは247回、Mさんは160回、私も頑張らなければ

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27日に那岐山へ登りました。
駐車場へ着くと8月30日に慈母峰を案内して貰ったMさんが居られた。案内して頂いたお礼を言って登山靴を履きかけると、長靴を履いて来ているので“長靴で行きなさい”と言われたので長靴で登る、軽くて雪道も歩き易く結果はOKだった。
MさんはBコースからCコースへ下山、私はCコースの往復なので上での再会となる。
歩き始めてまもなく後方での物音で振り返ると鉄人さんが、写真を依頼すると振り返ってポーズをして下さりチョット雑談する、今日は今年247回目の登山で今年中に250回にすると言われながら登って行かれ、私が頂上まで40分かかる時点で下山される鉄人さんと出会う。
頂上まで2時間32分だ、Mさんは見えないと思っている内に登頂して来られる。距離は長くても私より早いと思ったので尋ねると“ラッセルでの登山”と言われる。
頂上で遠望の山々の説明を聞きながら話しているとMさんは「今年160回の登山、鉄人さんは250回となる」と言われた。
私は6回目で終わりだ、来年は頑張らなければ。 ???

画像左は 鉄人さん(本人了解)
  右は Mさんの山レコから(左が私)
     山頂で鳥取方面を眺めて勉強中でしょうか。多分鳥取の2人様のようです。